ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

益田川ダム

2021-06-02 18:03:21 | 島根県
2021年5月23日 益田川ダム
 
益田川ダムは島根県益田市久々茂町の益田川水系益田川本流にある島根県土木部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
1972年(昭和47年)7月豪雨による水害を受けて「益田川治水ダム建設事業」が着手されますが、1983年のいわゆる「昭和58年7月豪雨」により流域で死者39名被災家屋1700戸という甚大な被害が出たことから計画は大幅に修正されます。
具体的には益田川ダムの目的を『FN』から『F』に変更し洪水調節容量を従来計画の約3倍に上方修正する一方、益田川ダムに配分されるはずだった不特定利水容量は既設の農地防災ダムである笹倉ダムを再開発することで確保することになりました。
益田川ダムは建設省(現国交省)の補助を受けた補助治水ダムとして2005年(平成17年)に竣工、一方笹倉ダム再開発事業も翌2006年(平成18年)に竣工し、益田川ダムは益田川の洪水調節、笹倉ダム(再)は安定した河川流量の維持と既得取水権への補給を目的として運用されています。
このほか益田川流域の農地防災ダムである大峠ダム、嵯峨谷ダムも県農林水産部から土木部に移管され益田川流域一体とした治水が行われています。
 
ダム建設に合わせて付け替えられた国道191号線バイパスに益田川ダムを示す標識があり、これに従い左に折れるとダムが見えてきます。
益田川ダムは日本初の『流水型治水ダム』として建設され非常用洪水吐として7門の自由越流式クレストゲートが7門並ぶ一方、一方常用洪水吐は河床部に設置され、平時は流入量がそのまま流下する仕組みです。
 
下流面
写真左下に常用洪水吐がわずかに見えます。
 
天端は車両通行可能。
 
上流面
左岸が屈曲しています。
 
減勢工と副ダム。
流水式ダムで魚が遡上できるように副ダムにもスリットが入っています。
 
天端から
堤体直上に衝立のような4基の流木捕捉工が設置されています。
 
右岸から
流木捕捉工のほかに常用洪水吐にはゴミ除けゲージ(鳥かご)があります。
 
ズームアップ。
 
上流から。
ダムの目的は『F』だけで有効貯水容量650万立米すべてが洪水調節容量となるため、普段は流入量はそのまま流下されダム湖は空っぽです。
 
衝立と鳥かごをズームアップ。
 
日本初の流水型治水ダムとして建設され、流木捕捉工が設置されているのが特徴です。
地形上の問題から益田川ダムは治水目的のみとし、既存の農地防災ダムであった笹倉ダムを『N』目的のダムとして再開発したという点が益田川治水ダム建設事業の肝です。
 
1754 益田川ダム(1636)
島根県益田市久々茂町
益田川水系益田川
48メートル
169メートル
6750千㎥/6500千㎥
島根県土木部
2005年

津田川ダム

2021-06-02 17:30:14 | 島根県
2021年5月23日 津田川ダム
 
津田川ダムは島根県益田市大草町の益田川水系益田川にある洪水調節目的の重力式コンクリートダムです。
津田川流域では豪雨のたびに農地の冠水や流出が絶えず津田川の治水は流域農家の悲願となっていました。
そこで島根県は1967年(昭和42年)に農林省(現農水省)の補助を受けた県営防災ダム事業に着手し1974年(昭和49年)に竣工したのが津田川ダムです。
津田川ダムは大原川流域の農地防災を目的としており、運用開始後は益田市が受託管理を行っています。
 
ダムは県道309号東仙道津田停車場線沿いにあり、津田川沿いに県道を進むと右手にダムが見えてきます。
自由越流式洪水吐1門のシンプルな構造。
 
下流面。
 
天端は立ち入り禁止。
 
錆びた鉄骨の遺構
バルブの開閉用か?はたまたゴミの引き上げに使ったのか?
 
親柱に諸元が記されており、竣工は昭和48年11月竣工と記されています。
 
上流面
貯水池は見えませんが、防災ダムということで普段は貯留はされていないようです。
 
県道沿いに建つ竣工記念碑。
 
裏面はダム建設に尽力した当時の土地改良区理事長渡辺亀一氏の顕彰碑となっています。
 
ダム便覧では1975年竣工となっていますが、ここでは現地記念碑に従い1974年竣工とします。


1748 津田川ダム(1635)
島根県益田市大草町
津田川水系津田川
28.7メートル
83メートル
340千㎥/305千㎥
益田市
1974年