2021年10月19日 大淀川第一ダム
大淀川第一ダムは左岸が宮崎県都城市高崎町笛水、右岸が同市高城町有水の一級河川大淀川本流にある九州電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
宮崎県は主要河川がいずれも包蔵水力豊富なため、戦前から各河川で電源開発が進められてきました。
大淀川では電気化学工業(現デンカ)及び同社傘下の大淀川水力電気が電源開発を進め、1925年(大正15年)に電気化学工業によって建設されたのが轟ダムと大淀川第一発電所です。
当所の轟ダムは堤高15メートル未満の取水堰で、約3キロの導水路で大淀川第一発電所に送られ、最大1万5000キロワットの水路式水力発電を行っていました。
さらに1931年(昭和6年)には大淀川下流に高岡ダムおよび大淀川第二発電所が建設され最大3万キロワットのダム水路式発電が稼働します。
これらの発電施設は日本発送電の接収ののち、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により九州電力が事業継承しました。
しかし1954年(昭和29年)のジェーン台風により大水害が発生、轟ダムが流下を阻害し洪水被害を増幅させたとの批判が強まります。
これを受け九州電力は、轟ダム下流約3キロの大淀川第一発電所直上に大型洪水吐を備えた新ダムを建設に着手、1961年(昭和36年)に大淀川第一ダムが竣工しました。
ダム建設に合わせて新たに大淀川発電所1号機(最大出力4万2000キロワット)が増設され、2号機となった既存発電所と併せて出力合計は5万5500キロワットに増強されました。
この結果、大淀川第一発電所では1号機はダム式発電、2号機はダム水路式発電と一つの発電所で異なる方式の発電が行われています。
なおダム便覧では轟ダム竣工の1925年(大正15年)を大淀川第一ダムの竣工年度としていますが、轟ダムと当ダムでは建設地点が3キロ離れており同一ダムとみなすには無理があります
ここでは現ダムが竣工した1961年(昭和36年)を竣工年度とします。
ダム下への管理道路入り口には門扉があり普段は立ち入りできません。
今回は作業のため開放されており許可を得てダム下まで入らせていただきました。
クレストにラジアルゲート3門、その両側にオリフィスラジアルゲートが1門ずつ、計5門を装備
ダム直下には出力4万2000キロワットの大淀川第一発電所1号機があります。
少しズームアップ
右手が1号機。
ゲートをズームアップ
中央のクレスト3門と両端のオリフィス2門の越流高さが異なります。
両端2門の越流高が低くなっているのは両側の護岸が目的でしょう。
クレスト右手のゲートにはフラッシュボードがついています。
水圧鉄管はダム水路式発電の2号機用。
左岸から超広角で
右から堤体、第一発電所、開閉所の並びになります。
このアングルだと取水ゲートと水圧鉄管、発電所の配置がよくわかります。
天端。
訪問時は作業のため車が数台止まっています。
よく見ると天端にはレールが!!
今は使われていないようですが、かつては除塵機のゴミの排出や備品等の運搬にこのレールを使っていたようです。
天端にガントリーのレールが敷設してあるのは複数例ありますが、このような鉄道サイズのレールは初見。
上流面と貯水池
総貯水容量は850万立米、有効貯水容量295万立米で堆砂率は62%強
網場の向こうは水草が密生しています。
左手がダム水路式の2号機、右手がダム式の1号機の取水口
共に取水ゲート手前に除塵機が並びます。
ダムサイトの案内板。
1号機と2号機で発電方式が異なる発電所を持ち、また越流高の異なるラジアルゲートを装備するなど戦後の発電ダムの中でもちょっと毛色が異なる大淀川第一ダムです。
(追記)
大淀川第一ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
2826 大淀川第一ダム(1735)
左岸 宮崎県都城市高崎町笛水
右岸 同市高城町有水
大淀川水系大淀川
P
G
47メートル
178.6メートル
8500千㎥/2950千㎥
九州電力(株)
1925年轟ダム竣工
1961年大淀川第一ダム竣工
◎治水協定が締結されたダム