ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

柳瀬ダム

2018-04-10 01:46:28 | 愛媛県
2018年3月24日 柳瀬ダム
 
柳瀬(やなせ)ダムは愛媛県四国中央市金砂町小川山の吉野川水系銅山川にある国交省四国地方整備局が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
四国は四国山脈を挟んで多雨地域と少雨地域に分かれ、吉野川流域や太平洋側では洪水被害が頻発する一方、瀬戸内海沿岸では慢性的な水不足に悩まされてきました。
宇摩地域と呼ばれる愛媛県東部、現在の四国中央市も長く水不足に悩み、法皇山脈南側を流れる吉野川水系銅山川の水を導水する『銅山川分水』が悲願となっていました。
1928年(昭和3年)に愛媛県は灌漑・発電を目的とする柳瀬ダム建設計画を採択しますが、戦争により事業は中断、終戦後、愛媛県は灌漑・発電に加え洪水調節目的を付加して建設省の補助を獲得し、補助多目的ダムとして柳瀬ダム建設事業が着手されました。
その後建設省所管の国営事業に格上げされ1953年(昭和28年)に柳瀬ダムは竣工、江戸時代末期に銅山川疏水事業が請願されて約100年、宇摩地区の悲願である銅山川分水がここにようやく実現しました。
 
柳瀬ダムは新宮ダム富郷ダムと連携した銅山川及び吉野川中下流を対象とした洪水調節、四国中央市への灌漑・上水道・工業用水の供給、四国中央市への分水を利用した愛媛県公営企業局銅山川第一発電所での水力発電を目的とするほか、河川維持放流を利用して銅山川第二発電所で利水従属発電を行っています。
柳瀬ダムの完成より銅山川分水は実現しましたが、その後の瀬戸内海臨海工業地帯の発展による水需要増加を受け1975年(昭和50年)に下流に新宮ダムが、2000年(平成12年)に上流に富郷ダムが完成しました。
なお柳瀬ダムは国交省四国地方整備局が管理を行っていますが、当初愛媛県により事業着手されたことから特定多目的ダムではなく、補助多目的ダムという括りになります。
 
今回は新宮ダムから酷道と言われる国道319号線を西進して柳瀬ダムに至りました。
右岸高台にある管理事務所から堤体を俯瞰できます。
クレストには4門のローラーゲートが並びます。
ダム右岸では改修工事に備えボーリングによる地質調査が行われていました。
 
扶壁上にゲート操作室が乗っかています。
このスタイルは昭和10年ごろから登場し、昭和30年代にかけて特に中国電力で多く採用されています。
 
管理事務所から階段を下ってダムへと降ります。
上流面。
 
天端から
一番上が管理事務所。
 
金砂湖と名付けられたダム湖は総貯水容量3220万立米。
右手はインクライン。
 
特徴的なゲート操作室。
 
ゲートピアにはスリットが入っています。
 
減勢工
河川維持放流は取水口から発電所経由で行われるため、ダム下は水無川の様相。
 
ダム湖に並ぶ2基の取水塔
左手は四国中央市への銅山川分水路の取水塔
右手は銅山川第二発電所経由の河川維持放流向けの取水塔。
 
天端左岸から
ゲートピア上部の管理橋へは螺旋階段が続いています。
 
柳瀬ダムは日本100ダムにも選ばれていますが、見学ポイントが限られ特にダム下から眺めることができないのは残念です。
 
追記
柳瀬ダムには760万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに440万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2243 柳瀬ダム(1295)
愛媛県四国中央市金砂町小川山
吉野川水系銅山川
FAWIP
55.5メートル
140.7メートル
32200千㎥/26600千㎥
国交省四国地方整備局
1953年
◎治水協定が締結されたダム


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