ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

恩原ダム

2018-10-15 17:52:56 | 岡山県

2018年10月8日 恩原ダム 

恩原ダムは岡山県苫田郡鏡野町上斎原の吉井川水系恩原川源流部にある中国電力の発電目的のバットレスダムです。
明治末期から大正初期にかけて岡山県下では中小の発電業者が19社も乱立していましたが、合従連衡により岡山に本拠く中国合同電気が覇権を握ることになります。
同社は吉井川水系での電源開発を積極的に進め、1927年(昭和2年)に平作原発電所の取水ダムとして恩原川に竣工したのが恩原ダムです。
恩原ダム建設に際してはバットレス形式が採用され、ダムとしては函館の笹流ダムについて2例目、発電用ダムとしては日本初のバットレスダムとして完成しました。
恩原ダムで取水された水は2キロ超の導水路で平作原ダムに送られ有効落差143.8メートルを生かして最大2900キロワットの発電を可能にしました。
中国合同電気は1928年(昭和3年)に姫路に本拠を置くライバル山陽中央水電に買収され同社傘下に入ります。
中国合同電気は1933年(昭和8年)に完成した奥津発電所調整池でバットレス工法を採用、一方山陽中央水電も1936年(昭和11年)に鳥取県でバットレスダムの三滝ダムを竣工させており、恩原ダムはこれらのバットレスダムの技術的な礎になったダムと言えます。
両社は1942年(昭和17年)の電力統制令により発送電設備をすべて接収され解散しますが、べて日本発送電に接収され会社は解散しますが戦後の電力分割民営化により誕生する中国電力の礎となりました。
恩原ダムはその土木技術的価値を評価して国の有形文化財に登録されているほかBランクの近代土木遺産に選定されています。
 
国道482号線から恩原高原青少年旅行村の標識に従って旧道に入ると恩原ダム右岸ダムサイトにに到着します。
ダム下へ続く管理道路はチェーンが掛けられ立ち入りできませんが、さらに下流の駐車場から川沿いに山道を進めばダム下へ行くことができます。
扶壁や水平梁は改修された笹流ダムほどの太さはありませんが、華奢な感じの丸沼ダムに比べるとがっちり太く、外枠工法のマンションのような外観です。
 
正面から
右手全面の細長い建物は水位の観測施設です。
 
堤体から地山を挟んだ右岸側に洪水吐導流部があります。
 
ダムサイトに上がってきました。
右岸の洪水吐。
 
洪水吐の両側の壁には戸当たりのような溝が刻まれています。
かつてスライドゲートが設置されていたんでしょうか?
 
天端はハイキングコースの一部になっており立ち入り可能。
 
貯水池は恩原湖。
奥にはスキー場もあり高原の湖といった風情。
 
バットレスは堤体の荷重が少ないため、上流面に傾斜をつけて水圧でバランスをとっています。
 
ダム下流200メートルほどにある分水設備
平作原発電所へ送る水と恩原川へ放流する水が分水されています。
 
左岸上流から遠望。
 
(追記)
恩原ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
1852 恩原ダム(1388)
岡山県苫田郡鏡野町上斎原
吉井川水系恩原川
24.1メートル
93.6メートル
1853千㎥/1752千㎥
中国電力(株)
1927年
◎治水協定が締結されたダム


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