2015年11月 7日 小仁熊ダム
2017年 5月21日
小仁熊(おにくま)ダムは長野県東筑摩郡筑北村の信濃川水系麻績川左支流小仁熊川にある長野県建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
筑北村を南北に貫流する麻績川支流東条川は河川整備が遅れていたため豪雨のたびに洪水被害をもたらす一方、筑北村周辺は内陸性気候のため年間降水量が少なく渇水による干ばつや取水制限も頻発し抜本的な治水対策が求められていました。
また生活様式変化や長野自動車道の開通による上水道需要の増加が見込まれ新たな水源確保も大きな課題になっていました。
1983年(昭和58年)に長野県は東条川総合開発事業を採択、多目的ダム建設事業に着手します。
しかし、東条川にはダム建設適地がなかったため、並行する別所川支流の小仁熊川に着目します。
小仁熊川にダムを建設する一方、東条川には分水堰を設けてダムまでの導水路を整備し洪水時には東条川の水量をカットして小仁熊ダムに導水することで東条川の洪水を防ぐという仕組みを採用しました。。
小仁熊ダムは1998年(平成10年)に本体工事が着工されますが、ダムの建設地が旧炭鉱跡地だったことから止水対策に手間取り計画の3倍の費用が掛った上に工期も大幅に遅れ、2004年(平成16年)にようやく竣工に至りました。
これが当時の田中知事による脱ダム宣言につながったともいわれています。
小仁熊ダムは東条川および小仁熊川の洪水調節、小仁熊田川および東条川の安定した河川流量の維持と既得取水権としての灌漑用水への補給、上水道用水の供給を目的としています。
小仁熊ダムには108万立米の洪水調節容量が設定されていますが、近年頻発する豪雨災害に備えて2020年(令和2年)より豪雨の際に事前放流を行う治水協定が締結され、基準降雨量160ミリの雨が予想される場合には事前放流によりさらに45万立米の洪水調節容量が確保されることになりました
なお正式名称は小仁熊ダムですが、現地では『富蔵(とくら)ダム』が一般的で、道の駅の案内板や道路マップでも富蔵ダムと表記されています。
国道403号沿いの『西条温泉 とくらの湯』の先から富蔵ダムの標識に従って西に折れると右岸ダムサイトに到着します。
脱ダム宣言をした田中知事在任中に竣工したということで知事名が入った竣工記念碑は設置されず、代わりに『愛称 富蔵ダム』という碑が建てられています。
右岸から下流面
ガッツリ系の堤趾導流壁。
減勢工
オリフィスから越流しています。右手は利水放流設備。
左岸から
ダム周辺にはかつて炭鉱があり茶褐色な山肌が続きます。
今もダム右岸の山は崩落が続いていますが大丈夫なんでしょうか?
上流面
対岸に管理事務所とインクラインがあります。
ダムの少し下流に展望台があります
非常用洪水吐として自由越流式クレストゲート4門 常用洪水吐として自然調節式オリフィスゲート1門を備えています。
ダム下にも行けますが、減勢工がカーブしているのでこれが精いっぱい。
上流から。
ダム湖を長野道が横切っています。
2度目の訪問で前回見逃してしまった東条川の分水堰を見学しました。
分水堰とダムの位置関係は地図の通りです。
赤マルの分水堰から小仁熊ダム上流の小仁熊川にトンネル式導水路が作られています。
洪水時にはここで水をカットして小仁熊ダムに導水し、東条川の洪水調節を行う仕組みです。
分水堰上流にラバー堰が設置され右岸には魚道があります
東条川の河川維持放流水はこの魚道を流下し、東条川の河川流量を安定させています。
上流から見た分水堰
右手の水路は上の写真の魚道です。
本川および左岸の導水路ともに同じ高さの越流面があります。
本線と導水路への越流量を計算して設計されているのでしょう。
導水路側には手動の放流用スライドゲートがありこれで細かい調整を行うようです。
アングルを変えて下流から
向かって右手が小仁熊川への導水路 左手が本川となります。
こうやってみると低いながらも堰堤と洪水吐という並びです。
小仁熊川への導水路はこのゲートの先からトンネルとなります。
2度目の訪問でようやく小仁熊ダムの全貌を見ることができました。
なお写真はすべて2回目の訪問時のものと差し替えました。
1041 小仁熊ダム(富蔵ダム)(0049)
信濃川水系東条川
FNW
G
36.5メートル
99メートル
1930千㎥/1610千㎥
長野県建設部
2004年
◎治水協定が締結されたダム
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