算数・数学好きな高校生を対象に、毎年行われる国際数学オリンピック。1国あたり6人まで出場でき、2021年大会では日本人6人全員がメダルを獲得するなど、めざましい活躍を遂げています。学校のカリキュラムとは一線を画する戦いが繰り広げられている、数学オリンピックの全貌とは。公益財団法人数学オリンピック財団に聞きました。
話を聞いた人
淺井 康明さん
数学オリンピック財団理事/IMO2023日本大会事務局長
(あさい・やすはる) 都立高校教諭を定年退職後、10年間にわたり数学オリンピック財団事務局次長・事務局長として財団事務局に携わる。70歳で事務局を退職し現在は、同財団理事。2023年7月に日本で開催予定のIMO2023日本大会の事務局長。
話を聞いた人
宮下 義弘さん
数学オリンピック財団事務局長
(みやした・よしひろ) 都立高校教諭を定年退職後、前任の淺井康明事務局長の後任として、数学オリンピック財団事務局次長・事務局長となり5年目。現在も事務局長。
科学振興を目指しての催しへ
——「国際数学オリンピック」や「日本数学オリンピック」は、どのような経緯ではじまった催しなのでしょうか。
淺井:国際数学オリンピック(International Mathematical Olympiad、略称IMO)は、1959年にルーマニアで初めて開催されました。初年度の参加国数はわずか7カ国。しばらくの間は東ヨーロッパの国々を中心に開催されてきたようです。
日本も1990年の北京大会から参加。そして、2009年に行われた50周年大会では、104もの国々から565人の選手が集うほどになりました。残念なことに、ここ2年間はコロナ禍の影響でオンライン開催となってしまいましたが、数学に興味・関心のある若者を発掘し、育成する場として、大きな意義を持つ大会といえます。
IMOに参加できるのは、1国あたり6人のみ。その代表選手を選ぶために始まった催しこそが、日本数学オリンピック(Japan Mathematical Olympiad、略称JMO)です。JMOの始まりは日本人選手が初参加した北京大会の翌年1991年。また、より若い世代にも参加してもらうべく、2003年からは日本ジュニア数学オリンピック(Japan Junior Mathematical Olympiad、略称JJMO)も開催されるようになりました。毎年の参加者は、JMOが約4000〜5000人。JJMOが約3000人です。合計すると、じつに約7000〜8000人もの若き数学アスリートたちが、日本全国から集まってくれます。
加えて、最近では、女子生徒にアプローチしようと、数学の女子の大会も開かれています。というのも、IMOの各国の代表選手のうち、女子はわずか1割ほどしかいないのです。日本でも、かつて代表になった女子は2人だけ。より多くの女子生徒が参加できるような大会を、ということで、「ヨーロッパ女子数学オリンピック(EGMO)」「中国女子数学オリンピック(CGMO)」などが開催されています。
幾度ものテストを通し、代表6人が選ばれる
——IMO代表の6人は、どのようなプロセスで選ばれるのですか。
宮下:IMO代表の6人は、JMOとJJMOの参加者の中から選抜されます。
<IMO代表選手の選考過程>
1.予選:全国から広く参加者を募って、JMO・JJMOそれぞれで実施(解のみを採点)
2.本選:予選の通過者のみでJMO・JJMOそれぞれで実施(解答のプロセスを含めて採点)
3.代表選考合宿:各本選の通過者を集めて、同じ立場で実施(連日のテスト結果から代表6人を選考)
まずは、全国から広く参加者を募って行われる「予選」。12題を3時間で解くよう求められ、採点対象は、答えとなる値のみ(途中式は評価されない)というルールです。予選とはいえ、問題のレベルはかなりのもので、中には、1題も解けない人も。この予選を通し、数千人の参加者が、200人ほどに絞られます。
予選を無事に通過した参加者は、「本選」へと歩を進めます。本選の問題は、証明を要求する記述式で、IMOと同じく、5題を4時間で解くよう求められます。かなりの長丁場ですが、お手洗い等を除けば、休憩はなし。数学の知識・センスはもちろん、長時間にわたって集中力を切らさないスタミナも求められます。ここまではJMO・JJMOの選考は別々で実施されます。
そして、JMO・JJMO本戦を突破した選手は、最終選考である「春の代表選考合宿」へ参加します。つまり、この合宿からJMO・JJMOの本選通過者たちが、学年・年齢関係なく同じ立場で選考に臨むこととなります。合宿中、選手たちはIMOと同形式のテストに連日挑み続けます。ここでコンスタントに結果を残し続けられた6人が国の代表として選ばれ、海外に派遣されます。
ちなみに、一連の選考で、参加費がかかるのは予選だけ。それも比較的安価で、JMOが4000円、JJMOが3000円です。本選以降は代表選考合宿費用も含めて無料で、海外への渡航費などもほぼ全額支援します。その意味では、数学的な資質さえあれば、どのような人にも可能性が開かれた大会と言えます。
——「5問を4時間」とは、かなり歯ごたえのある問題なのでしょうね。具体的な出題範囲は。
淺井:IMOの問題は、整数論、幾何、組み合わせ、代数(数式計算)の4分野から出題されます。なお、微分・積分、確率・統計、行列の分野は、国によってはカリキュラムに含まれないことから、除外されています。過去の問題はすべてインターネット上で公開されていますので、興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。
ちなみに、傾向として、日本の選手は組み合わせの問題が比較的得意なようです。一方で整数論と幾何は、学校のカリキュラムが手薄な影響もあるのか、苦手な選手が多い印象です。
有名私立校が有利? ネットの普及が空気を変えた
——学校のカリキュラムの話が出ましたが、そもそも教科書に載っている内容でカバーできるレベルなのでしょうか?
淺井:いえ、かなり難しいと思います。一般的な学校の先生でも制限時間内では5問中2、3問解けるかどうかでしょう。どれも非常にレベルの高い問題ですから、「大人に教えてもらおう」と考えるのではなく、自ら研究するつもりで取り組まなければいけません。選手の中には、他国の選考に使われた問題を自ら入手するなどしてレベルアップに努める人もいます。
——そこまでハイレベルとなると、やはり参加選手には、有名私立校の生徒が多いのでしょうか。
淺井:確かに、以前は、参加者がどうしても有名私立校の生徒に偏りがちでした。なぜなら、こうした学校には概して「数学研究会」のようなクラブがあり、先輩が後輩を指導する文化があるためです。学校の先生に教えてもらえない以上、自分たちでノウハウを蓄積し、次の世代に引き継いでいくしかない。そうして、相互に鍛える環境が整った結果、“強豪校”が確立してきたのです。
宮下:ただ、最近はネット社会ですから、必ずしも有名校の生徒ばかりではなくなってきました。当財団のサイトに掲載している成績優秀者一覧をご覧いただければ、全国さまざまな地域から優秀な生徒が集まっていることがわかります。強豪校に一定のアドバンテージがあるのは事実ですが、意欲さえあれば、どのような地域・学校の人でも能力を高めていける時代になってきたと言えるのではないでしょうか。
容易に手が出ない難問にも、果敢に挑む姿勢で
——こうした大会を運営するには、それなりの労力がかかるのではないかと推察します。大会を開催・支援される意義とは。
淺井:いわゆる「国力」の視点から考えると、やはりトップ層の能力をより引き上げられる点が意義深いのかなと思います。一般に日本の教育は平等主義で、みなに同レベルの教育を提供することをめざしてきました。しかし、そういった教育だけでは、子どもたちの可能性を限界まで広げづらいのが現実です。明日を担う若い力を発掘し、どこまでも伸ばしていくことで、国を引っ張る存在になってほしい……。そうした期待を寄せられているのも、1つの事実でしょう。
国によっては、大会での順位をかなり敏感に気にしているようで、IMOがオンライン開催となった際も、政治的な思惑から「国ぐるみでの不正行為が行われるのでは」といった懸念の声が上がったほどです。最終的に、「各国の会場に、他国から派遣した監督者を置く」という運用で開催しましたが、IMOの政治的な側面を示すエピソードとして分かりやすい一例かと思います。
宮下:一方で、子どもたち自身にもたらす恩恵はというと、何よりも仲間ができることが大きい。というのも、先述したような「数学研究会」のある学校ならまだしも、一般的な学校だと「まわりに同じレベルの子どもがいない」と悩む人が多いのです。
その点、IMOの参加者は、みな数学が大好きな者同士。たとえ言葉が通じなくても、数学という究極の共通言語があるので、すぐに仲良くなれます。実際に、会場では、「この問題、解ける?」「〇〇年の、あの問題はおもしろかったよね」のように、楽しそうに交流している姿を多く見かけます。また、大会終了後も、メールなどでやりとりが続くケースが多々あるようで、他では得がたいチャンスなのかなと思います。
——正直なところ、私自身は数学が苦手で、どの問題にも、手も足も出ないだろうなと思ってしまいました。こうした問題に取り組むことの意義や、おもしろさは。
宮下:世の中には、「解き方すら分からないけれども、解決しなければいけない問題」がたくさんあります。多くの方がひと目見て「分からない」と投げ出す問題でも、果敢に立ち向かっていく。そうした姿勢こそ、子どもたちが、IMOやJMOを通して獲得する力なのかもしれません。
ちなみに、過去の問題を見てみると、クスッと笑えるような切り口の問題もしばしば。単に“計算をさせる”だけではない、作問者のウィットが見え隠れすることがあります。そうした発見もまた、楽しみのひとつですね。ぜひ来年も、新たな挑戦者が生まれてくれればと願っております。