また、この20年のゆとり教育による成果と言わざるをえない。
名古屋大学のO教授によると、雑誌、数学セミナーにある「エレガントな解答求む」の応募者は50代が最も多く、最も少ないのは10代の若者という。
ここにもゆとり教育の弊害を感ずるのは私だけだろうか、
開発系であった私は、その昔、Lattice社のC言語処理系を使用していた。当時、1セット248,000円していた。マイクロソフトから新しい言語処理系(C言語)が発売された。思い切った値段設定で98,000円であった。早速購入してみて驚いた。何と、パッケージは確かにマイクロソフトのものであるが、中身はまったくLattice社のものと寸分違わず、全く同じものであった。おそらくライセンシーをマイクロソフトがLattice社より取得しての販売だったのだろう。その後、codeviewを備えて、ワークベンチ機能をアップし、開発系の人間から支持を得始め、あっという間に、トップシェアを奪うまでになった。こうした商売を初期のマイクロソフトはよくしていた。「軒を借りて母屋を奪う」マイクロソフト商法はこうして生まれた。その後はウィンドウ環境をアップル社から学び(盗み?)windouwsを発売し、市場を席捲した。法廷闘争に長け、頃合を見て、多額の和解金を払う戦術で、アップル社のマッキントッシュの市場占有率を下げることに成功した。ただ、そんなゲーツ君もIBM-PC用のOSは自社製のOSを開発し、IBMに売ろうとしたが、ゲーツ君のさらにその上を行く和彦君にたしなめられ、シアトルコンピュータプロダクツ開発のDOS(ディスクオペレーティングシステム)を買い上げ、IBM-PCにバンドルした。このときの和彦君の判断があって、現在のMS帝国があるのです。世界各社のPCへのMS-DOS移植の陣頭指揮をとったのは、他ならぬ和彦君なのです。IBM-PCをこの世に生み出したのは、やはり副社長の和彦君だったのです。
日本で標準的に使われているワープロソフト、「一太郎」(ジャストシステム)」。おそらく、ワードと人気を2分している。最近ではワードを使うことが大半ですが、現在のウィンドウズ対応版にも、その昔のMS-DOS版の操作性が今も継承されています。一太郎が爆発的に売れたのは、バージョン2.11からバージョン3.1に変わった頃ですので、1985年。今から27年前のことです。四半世紀以上前の操作性を今に残したからこそ、一太郎は使われ続けたのでしょう。四国の徳島と言えば、阿波踊りとこの「一太郎」でしょう。現在のジャストシステムの状況は詳しくは知りません。その昔、ソフトウェアの展示会が東京の晴海などで実施された折、ジャストシステムのブースに訪れたことがあります。当時はMS-DOS全盛期で、ウィンドウズ発売前。日本語処理を切り離して、他のソフトでも日本語入力できることを教わりました。当時人気のあった、ロータス123、dbaseⅡなどの日本語入力に利用できその便利さを実感しました。(config,sysのdeviceに登録するだけで日本語が使用可能になりました。まさに、驚き!)ジャストシステムのこの日本語入力は当時もいまもatok(エイトク)の愛称で呼ばれています。
先の展示会では、浮川社長ご夫妻が直接ブースで丁寧な説明をされていたのが印象的でした。
現在の一太郎でも、「ESC」キーを押すと、懐かしい「メニュー」が現れます。現在の方はおそらくご存じないかと思います。