国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

10. 仮免試験(リベンジ)

2021-04-29 | 運転免許
泣いても笑っても最後になるかもしれない2度目の仮免試験の日を迎えました。私は木曜2限が授業なので同行できません。Linda一人が送迎バスで行きました。

私は出勤したものの気が気ではありません。居ても立ってもいられなくなり、昼休みに職場を出て自動車学校へ向かいました。試験が終わるまでには着けるだろうと思いつつ。

そして到着した時、試験はまだ始まったばかりのようでした。教室の入口近くに座っていたLindaの姿がガラス越しに見えました。解答に取り組んでいる彼女を見てふと涙がこぼれそうになりました。一生懸命頑張ってきたのを知っているだけに。「これだけやっても落ちるんなら本当に『潮時』なのかもしれないな」という考えも頭を過ぎりました。

そうこうしている内に試験終了。部屋から出てきたLindaは私を見て意外そうな表情を浮かべていました。そのまま二人で結果発表を待つことに。

場内アナウンスに続いてディスプレイに彼女の受験番号「6」が表示されました。ああ良かった!(ただし後日教習原簿を見て判ったことですが、その時の点数は92点で、決して楽勝ではありませんでした。)これでひとまず危機脱出です。(それを受けて書かれたのがこの日の日記です。)

次の来校時にLindaがもらった仮免許証(日付は試験合格の日)。有効期間は6ヶ月ですから、それ以内に卒業することが目標、というより必須になります。(実際には「第2段階のみきわめ完了から3ヶ月以内」というタイムリミットの方が先に来る可能性は大きいですが。)
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9. 他山の石?

2021-04-29 | 運転免許
実は仮免試験を受ける少し前に「私と同じ境遇の諸先輩方はどうしていたのだろう?」と思ったので、ネットでいろいろと調べていました。出てきた結果はことごとくフィリピン人妻の配偶者(夫)によるサイトやブログでしたが、全てが驚愕に値する内容でした。

まずこのブログの記事を時系列で読んでみたのですが、「英語受験者は平均8回くらい落ちるとか聞いてますが・・・」とあり、追記を読むとその奥さんも不合格の連続。そしてようやく6回目に合格されたそうです。(ちなみに「妻の知り合いの中では6回目での合格は新記録のようです」とのこと。)そして本免の学科試験合格は8度目だったようです。

続いてこちらに「英語選択者でも30回以上も落ちた人がいたようです」と書かれていた人の奥さんは仮免試験こそ一発合格だったものの本免はようやくにして10回目で合格(こちら参照)。

(ついでながらここここなどYahoo! 知恵袋に相談が寄せられているのも見ました。時期は上記2ブログより前ですね。)

極めつけはこのページで、誤字やおかしな言い回しが目立ち、以前触れたように「英語と米語の違い」を元凶の一つとしているといった事実誤認もあるのですが、「33回目で仮免合格」と「29回目で本免合格」はおそらく本当でしょう。そして「日本人配偶者の手助けがなければ、まずもって自力合格には結びつきません」には100%同意します。送り迎えだけというのは論外として、問題集を買って与えるというのもサポートとしては不十分です。まずは自身も学科教本を熟読して「どこが、どう、なぜ間違っているか」をきちんと説明できるようになることが不可欠だと私も声を大にして言いたいですね。(お陰で自分もほとんど忘れていた交通法規を思い出せたのは既に述べた通り。)さらに可能なら外国語の問題も読み解き、本人が繰り返し躓いている障害を取り除いてあげることができればベターでしょう。(いつか詳しく書きますが、近年レベルの上がってきた自動翻訳の活用もアリです。)

その方の奥さんはそれでも何とか期限内に二つの難関を乗り越えられたようですが、それにしても「本免実技合格(卒業)から1年以内に本免学科に合格できないフィリピン人は普通にいる」「残す期限はあと2週間と有効期限が迫っているフィリピン人もいた」というのは実に恐ろしい! そこまで高いハードルを設ける必要があるのか疑問に感じます。

もう一つ言いたいことが。これも上のリンク先に載っていることですが、仲間内で答えを教え合ってもそれが正解であるという保証はどこにもなく、情報伝達が正確であるほど誤答が繰り返されるという不幸な結果を生みます。その元凶は本番の試験では問題も正解も一切公表されていないことに尽きるでしょう。今や大学入試でも問題(冊子が持ち帰り可能)はもちろん正解(模範解答)も公表するのが当たり前になっています。(さらに情報開示請求をすればここまで見せてもらえます。他大学ですが参考まで。)しかしながら、この時代錯誤的状況を改めさせるために何か活動するほどの情熱を私は持ち合わせていません。(すいません。)個人的に相談されたら助言くらいはしますけど。

おまけ
 英語の問題に取り組んでいると「こんな単語があったんだ」「こんな風に言えるんだ」のような発見も多々ありました。一番驚いたのは、私が読み書きする論文にほぼ100%登場する "yield" という単語。これまでは「収量」(面積当たりの生産量)という意味の名詞、または「産出する」という意味の動詞としてしか知りませんでしたが、「道を譲る」("give way to" と同義語)という用法もあったとは! 少しは英語力も向上したと思います。

後日追記
 この文章を作成したのは3月4日、本免最初の不合格の後、2回目の受験を控えていた時でした。(前に述べたように書き溜めしていました。ついでながら、タイトルを付けたのも波紋を呼んだ某幹事長の発言よりもずっと前です。)もちろんこの後3度落ちることになるとは夢にも思っていませんでした。なので、私たちが本当に「他山の石」とできたかは正直なところ疑問です。(それでタイトルにもクエスチョンマークを付けました。)これから配偶者が運転免許の学科試験に挑むという方がもしおられたら、拙稿が真に「他山の石」となることを願うばかりです。
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8. 仮免試験(特訓)

2021-04-28 | 運転免許
「次のテストを最後にする。」

受かっても受からなくても最後。つまり次も落ちたら退校するということです。どうしてそんなことができるでしょうか? 理解できませんでした。山に喩えたらまだ登り始めたばかりだというのに。「あなたに車の運転は縁がないことであるという神様のしるしだから。」たしかそんな説明だったように思います。その日も翌日も翻意させるべく説得を試みましたが効果なし。一度言い出したら梃子でも動かないようなところもある人なので、これ以上言ったら逆効果になると思い、とにかく次の試験に全力を傾けることに頭を切り替えました。(もしダメだったら彼女の家族や従兄弟のAさん、教会の仲間や牧師さんに働きかけてもらうようお願いするつもりでした。)

とりあえず土曜日に予約していた試験はキャンセルし、自習の木曜日に延期。そして21〜23日の3連休は朝から晩まで部屋に籠もって特訓することにしました。

やったことは実に単純です。上画像の「教習項目別問題」の第1段階の1〜14まで一つずつ入って問題を解かせるだけ。日本語しかないため私が問題を英訳(意訳)しました。問題数の多い項目は100を超えました。開始後1時間もすると頭が痺れてくるというか、簡単な単語すら訳せなくなるためしばらく休憩。そして再開。これを三日三晩続けました。1日の勉強が終わった後の疲労感といったら・・・・・国際会議で同時通訳をする翻訳者は10万ぐらいもらっているという話を聞いたことがありますが、それは正当な報酬だと思います。
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7. 仮免試験(撃沈)

2021-04-27 | 運転免許
修了検定前の説明が理解できなければ話にならないので同行しました。説明はS先生でしたが、先に向こうから「説明までは同席していただいて結構です」と言ってくれました。要点をメモして検定開始前の空き時間にそれをLindaに伝えました。そのまま残って見守りたいのは山々でしたが、出勤しなければならないので "Good luck!" とだけ言ってひとまずサヨナラ。


11時前にメッセージが入りました。苦手としていたS字クランクもうまくいったとのこと。その後、ある部屋に呼ばれて自分の名前や住所等に間違いがないか確認するよう言われたらしく、それで「運転の方はパスしたようだね。おめでとう。」と返事しました。それから間もなく彼女の受験番号がスクリーンに表示されたそうで、本当に合格したことが判りました。修了検定の合格率は(路上で行われる)卒業検定よりも低いという記述をネットで見ていたので、私は五分五分ぐらいに思っていたのですが、一発合格はお見事! 続く学科試験もパスすればめでたく仮免許取得です。しかーし・・・・・・・

13時40分頃にメッセージが。「残念、時間がなくて4問ほど解けなかった」とのこと。そうなると全問正解でも92点。ほぼ絶望です。「次はタイムコントロールをしっかりしよう。がっかりしないで。」などと書き送りました。次は学科だけ受ければ良い訳ですが、直近の同じ週の木曜日はLindaが嫌がり、1週間後の月曜日は勤労感謝の日のため試験なし。ということで土曜日に再試験を受けることを私が学校に電話で伝えました。

話はそれで終わりません。夕方のメッセージに「62点、屈辱です。」と書かれていたので驚きました。あれだけ勉強していた彼女が○×二択のテストでその点数はあり得ません。帰宅後に訊いてみたところ、自信のない問題を後回しにしたため、もしかしたら途中でずれてしまったのかもしれないとの答えでした。何にしても彼女はかなりしょげていました。

それでも翌朝から勉強を再開したLindaですが、たしかその次の日の晩、寝る間際になって私にこう言いました。驚愕の一言でした。

「次のテストを最後にする。」
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6. ムサスィ

2021-04-26 | 運転免許
自動車学校が導入している学科教習の学習システムは、だいたい「満点様」か「MUSASI」のようですね。長浜自動車学校は後者でした。



上の日本語と比べたら半分以下のボリューム(貧弱としかいいようがない)ですが、外国語のメニューも用意されています。(英語、中国語、ポルトガル語に加え、まだ本番の試験では提供されていないベトナム語も。将来を見据えてのことでしょうか?)


上の "Self Study"(自習)メニューにある Test-type Questions"(テスト形式)と"Study-type Questions"(一問一答形式)の練習問題、およびMock tests(模擬テスト)の問題(いずれも英語の仮免問題は3種類ずつ)に入り、それらのスクリーンショットを撮って印刷したものを冊子に綴じてLindaに渡し、勉強してもらうことにしました。(ついでに自分も日本語の問題を解いてみたところ、最初は全然ダメでしたが、やがてコンスタントに90点以上をたたき出せるようになりました。このサポートのお陰で自分も最近の道路交通法に精通することになったのは嬉しい副産物といえます。なお、自動車学校の端末に入っている効果測定用の問題は模擬テストとは別物のようでしたし、私が自宅で何をしたところで合格の回数にはもちろんカウントされません。)


10月に取り組んだ練習問題やテストの結果(一部)です。10月24日や26日の50点(100%)など私が解いたのもあるし、教材作成のためだけに利用した時のものも混じっていますけど。


ちなみに1問ずつ正解を確認できる練習問題とは異なり、模擬テストの冊子を作る際にはガチで解答するのではなく、全部「○」で答えておくという「裏技」を見つけました。そうすれば不正解の問題に「×」が付くため結果的に全問の正解が表示されるので後で便利です。(ところで、こういうのが見られるのはLindaが卒業した今でも教習生番号とパスワードでログインできるからです。なぜ抹消されないのか? 下画像のように教習予約システムの方は卒業したその日に利用できなくなったのに。)

何ごとも丹念にやらないと気の済まないLindaにとって、自由に書き込みのできる紙媒体での勉強が性に合っていたのでしょう。家では合格点を取れる回数も増えていきました。他にも仮免の英語問題(Karimen Eng 01〜05など)をネット検索で見つけてきたり、英語と西語の用語対照表を作ったりといろんなことをしました。それらも実力アップにつながったと思います。

なお学校の端末での効果測定でケシカランことが一つありました。彼女が解答を終わった後、受付嬢から呼ばれて点数と間違えた問題および正解の書かれたプリントアウトを渡されるのですが・・・・・それが不合格(6問以上不正解)だった場合でも最初の1枚だけで全部は見られません。どう考えてもそれはおかしいので抗議したところ、「そういうシステムだから」という訳の分からないというか答えになっていない答え。(私が一番嫌う類です。)が、それ以上ゴネて要注意人物扱いされるのも結局Lindaの得にはならないと考え我慢しました。(なお後になって完璧ではないものの、その解決策を見つけることができ、第2段階の効果測定ではそれが功を奏しました。)

閑話休題。11月1日(日)に1度目、3日(文化の日)に2度目の効果測定をパスし、これで仮免許試験を受ける権利を得ました。そのさらに1週間後の10日に第1段階が「みきわめ良好」と判定され(判を押したのはS先生)、16日(月)に修了検定を受けることになりました。ただし効果測定は2回とも同じ問題に3度挑んでようやく合格ということで不安は残りました。初見の問題で果たして90点も取れるのでしょうか?
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5. 効果測定

2021-04-25 | 運転免許

仮免許試験を受けるには技能教習(第1段階)で指導員から「みきわめ良好」の認定を受けるとともに、上画像のように自動車学校の端末で効果測定(テスト)に挑んで異なる問題に2度合格する必要があります。合格ラインは90点(30分間に50問解答し45問以上正解)です。もちろんそちらの準備も同時並行で進めていました。ところが・・・・・自宅にいながらインターネット学習システム(eラーニング)で勉強し、模擬テストも受けられるのですが、Lindaの点数がなかなか上がってくれません。80点止まり。

ここで今更ながら書きますが、彼女は英語で受けることを選びました。日本語はふりがなが打ってあってもまるでダメ。最初はポルトガル語も考えたようですが、やはり理解できないということで断念。要は消去法です。

ここから余談ですが、教習所で受ける仮免許試験も運転免許免許センター等で受ける本試験(本免)も用意されている外国語問題はほとんどの都道府県で英語、中国語、せいぜいポルトガル語の3ヶ国語までです。(こちら参照。ただし今年になってベトナム語を加えるところも出てきたようです。増加する留学生や技能研修生への対応でしょうね。)これが外国で取得した免許を切り替える場合なら、例えば滋賀県も11ヶ国語(日本語、英語、ポルトガル語、スペイン語、中国語、韓国語、ペルシャ語、タイ語、タガログ語、ロシア語、ベトナム語)の知識確認用問題を用意しているそうですが・・・・スペイン語を話す市の職員もそれと勘違いしてLindaに「西語でも受けられる」と言ったみたいですが誤りです。また彼女と同じ教会の仲間や私の日本語教室の生徒のペルー人はポルトガル語で受けて合格しているようですが、こちらの西語圏出身者は大抵職場同僚にブラジル人がいるので自然に話せるようになるのでしょう。一方、Lindaはニューヨーク在住時代に西語話者のコミュニティにいたため葡語に触れる機会は乏しく、10年以上使ってきた英語に期待をかけることにした訳です。

閑話休題。点数の伸びないLindaを見ている内に私はその理由がいくつもあることに気が付きました。一つは年齢の壁。私も痛感していることですが、記憶力の衰えはいかんともしがたく、それゆえ彼女は同じ問題で間違いを繰り返していることが明らかでした。

次に言葉の壁。いくら話し言葉が堪能だとしても試験問題に使われるのは書き言葉。Lindaはそれに慣れていないようでした。例えば「〜にかかわらず」「〜(の有無)に関係なく」といった意味の "irrespective of"、 "regardless of"、"with or without" といった言い回しはおそらく運転免許の問題に頻出する言い回しでしょうが(そして私も論文を書く時にはしょっちゅう使いますが)、彼女はそれを知りませんでした。それどころか、"height"、"length"、"width" というサイズを表す単語(それぞれ高さ、長さ、幅)も辞書で調べていました。(おそらく形容詞の "high"、"long"、"wide" で済ませてきたのでしょう。なので、頭文字の "H"、"L"、"W" で憶えたらいいとアドバイスしておきました。)他に例を挙げていけばキリがありませんが、和製英語になっているほど我々が知っており、四輪車やバイクの運転に必須の「ギア」や「クラッチ」ですらも。ということで、英語の読解トレーニングをしっかりやらないと合格は覚束ないと思い知らされました。(なお、いつかリンクを貼らせてもらうことになるでしょうが、フィリピン人の奥さんを持つある方のサイトでは「フィリピンで使われているのは米語 (USA) なのに学科試験は英語 (UK) なのでなかなか合格しなかった」という考察がされていましたが、その認識は間違っていると思います。それは話し言葉と書き言葉の相違ほど大きくはありません。)

もう一つは「ひっかけ問題」の壁です。これが日本人にとっても大きな悩みになっているのは言うまでもありませんが、仮に英米人など母語話者が英語で受けてもおそらく一発では合格できないでしょう。Lindaにとってその壁はさらに高くなります。で、彼女が間違えている問題にはある傾向が認められました。それは否定形や "is prohibited."(禁止されている)で終わっているもの。それを途中まで読んで「これは違反行為だから」と即断して「×」にしてしまうと誤答になります。そこで「書いてあることが良いか悪いかではなく、本当か嘘かであるかで答えるように」と何度も念押ししたことで、この手の間違いは少なくなりました。けれども "unless"(〜しなければ)、"otherwise(そうでなければ)"、"except"(〜を除いて)、"other than"(〜以外)、"without"(〜なしに)のような否定表現が混じっていると、かなりの確率で誤読するのが頭痛の種。さらに二重否定の文章になると頭がこんがらがるのか正答率はさらに低下しました。(日本人だって同じでしょうけど。)

実のところ私は学科試験については(技能よりも)軽く考えていました。授業で教わる重要ポイントを押さえておけば、あるいは例題を解けるようにしておけば大丈夫だろう、と。引っかけにしたところで、例えば「すべての」「必ず」「どんな場合であっても」(英語だったら "all" とか "any" など)ならば暗に例外を匂わせているので「×」で問題なしと思っていました。ところが「安全地帯はどんな場合にも(危険を避ける場合であっても)入ってはいけない」など「例外にも例外あり」、つまり一つ一つコツコツ憶えるしかないことが判りました。それで私も(畢竟はサポートしかできない訳ですが)本気で取りかからなければと覚悟を決めたのでした。

既に十分長いので続きは次回に。

後日追記
 そういえば彼女は車が動く仕組み自体をよく分かっていないため、ローギアに入れることで作動するエンジンブレーキは当初まるで理解できなかったらしく、それに関する問題をよく間違えていました。「エンジンブレーキってどこにあるの?」と訊かれたこともあったっけ。我が家の軽トラを運転するなどして実感しないと難しいでしょうね。オートマチック車限定免許なので無理ですけど。
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4. 予約

2021-04-23 | 運転免許
私が免許を取った35年ほど前と比べると自動車学校は大きく様変わりしているようですね。昔は第1〜4段階まであり、最後の第4段階からが路上でしたが、今は第2段階まででそこから路上。(トータルの時間数はそんなに違わないでしょうけど。)それよりも驚いたこととして、私が夏休みに下宿から通っていた教習所は毎日だいたい決まった時間に行って帰ってくるだけでしたが、今や技能教習は完全予約制になっているとは露知らず。

発行されたIDとパスワードでログインし、あとは希望する日時を予約するだけ。ですが、その取りにくさに閉口しました。聞いたところでは、例年であれば夏休みが終わって大学の後期の授業が始まる10月には生徒もめっきり少なくなるところが、コロナウイルスのせいで対面授業がなくなり、時間を持て余した学生がこれをチャンスとばかりに免許を取りに来ているため、ずーっと混んでいるのだとか。(ちなみに近くには4年生大学と短大が1校ずつあります。)予約は6コマまで、そして13日先まで可能とはいいながら、その可能になった日の内にあらかた埋まってしまいます。さらに最初の(教官を指定しない)フリー予約から指名予約に変えてからは空きを見つけるのがますます難しくなりました。それでも年内は2週間(14日間)に6コマ(2コマ×3日)というノロノロペースながら受講できていたのですが・・・・・

年明け(1月)になると今度は卒業前に免許を取りたい高校生が通うようになりました。そうなるともういけません。一番先の日でも朝方にアクセスしてみると全て「×」(予約済)。受付嬢によると日付が変わって予約可能になると同時に押さえにかかる生徒もいるという話だったので、私もそうするしかないと覚悟を決めました。が、既に残り少なくなっている「○」の時間帯をクリックして確定させようとしても「予約できませんでした」となることも度々。(同時アクセスと思われます。)「人気アーティストのコンサートチケットの争奪戦もこんな感じなんだろうな」と想像しつつ、何とかかんとか予約まで漕ぎ着けていましたが、「何か間違っているんじゃないか」という思いは拭い去れませんでした。

そういえば入学時に教習期限は9ヶ月(それまでに卒業できないと全てがパー)という説明を受けましたが、私が通っていた頃は6ヶ月だったはず。それもこのような状況を受けてのことかもしれません。私もさすがにそれだけあれば大丈夫(第1段階に3ヶ月かかったとしても半年残るし、卒業してしまえば1年以内に学科試験を通ればいいので余裕)と思っていましたが、昔のままだったら結構焦っていたと思います。
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3. 技能教習

2021-04-22 | 運転免許
私が毎回付き添うことになった学科教習は問題なしですが、技能教習の方はそうはいきません。(夜のコースも19時開始の11現目まであるにはあるのですが、夕飯時ですから避けたい。)けれども送迎サービスがあるので助かりました。入校手続きの際、送迎バスについても説明があり、乗り降りを希望するバス停を登録することになったのですが、そのうちの「長浜市内外回り」コースは何と家の真ん前にある日吉神社の駐車場に来てくれると知ってビックリ。(私は市バスの最寄り停留所と思っていましたが、その場合は隣町まで5分ほど歩かなければならないので嬉しい誤算でした。)前日の15時までにネットで申し込んでおけば自宅のすぐ近くから乗り降りできるので、ありがたいことこの上なしでした。(下がその送迎用マイクロバスですが、赤黄緑はボリビアの三色国旗と同じ並び。縁を感じました。Lindaはそうでもなかったようですが。)

さて、たしかその最初の日の技能教習ですが、午前中に2時間受けていたLindaからSkypeにメッセージが入りました。何でも2人目の教官が無愛想で参ったとのこと。向こうも言葉が通じないので無理もないと思いましたが。さらに別の日は強い口調で叱責されたらしくしょげていました。話を聞いてみたところ、右折時に必ず何か注意されたけれども全く理解できず、とうとう怒られてしまったとのこと。後日Lindaは交差点の中央のすぐ近くを通るべきところを小さく回っていて、それを全然改めなかったからではないかと分析していましたが、危険行為を繰り返す生徒にとうとう堪忍袋の緒を切らした教官の気持ちも理解できなくはありません。

そうこうしているうちに、Lindaにも優しく丁寧に教えてくれる教官の顔と名前が一致するようになってきました。そこで、それまでのフリー予約から彼女がリストアップした教官4人のいずれかの指名予約に変えることにしました。予約については次回に記しますが、それらの中でも前に触れたS先生は運転教本の英訳まで用意してくれていました。話し方が慇懃丁寧というか重々しいため最初こそ堅苦しい印象を受けたもの、分かってみれば非常に紳士的な人でした。またO先生はとても気さくな人でLindaのことを「おかあさん」と呼び、彼女が失敗しても根気よく教え、いつも励ましてくれたそうです。第2段階も終わりに近づくと、ほとんどこのお二方の教習だけになり、Lindaは感謝の手紙(私の訳文とお礼も添えて)をしたためて手渡すことになったのでした。




(上がそのO先生との教習風景。撮影の日付が11月3日 (文化の日) ですから、その日はバスでなく私が送り迎えしたということです。)

話を戻しますと、アラフィフのLindaが半分以下の年齢の若者(大学生)と同じペースで進めるはずがありません。間違いなく言葉の壁の影響もあったでしょうが、教習原簿のスタンプが押せなくなるギリギリまで補習を受けることに。それでも1ヶ月半ほどで第1段階の「みきわめ良好」に辿り着くことができました。諸事情による予約の取りにくさを考えたら上々のペースといえます。運動神経は決して鈍い人ではありませんからね。問題は学科試験(仮免許試験)でした。
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2. 学科教習

2021-04-20 | 運転免許
ご存知の通り学科教習はただ座っているだけでハンコが押してもらえます。(理解度をチェックするための課題が出たりするようなことはありません。)それゆえLindaが一人で受講しても全く問題はなく、家でしっかり勉強して試験にさえ通ればいいという考え方もアリでしょうが、授業で教えてくれる重要なポイントを知っておいた方が良いだろうと思ったので、途中から私が同席することになりました。(下画像の時間割で丸付き数字が第1段階の学科教習ですが、10月3日の⑧を受けて帰宅した後に「やっぱり一人ではダメ」と言われたのでそうなりました。)順序は問われず、土日と夜間だけで⑩まで受けられるため、それは十分可能でした。

ところで②〜④を受けた同月4日の3時間目のことだったのですが、授業開始前に教習原簿を集めに来た教官と目が合い、向こうが何か聞きたそうだったので「妻は日本語が解らないので同席させてもらっています」と先手を打ってみたら、「許可は取っていますか?」と返されました。それまで1度も言われたことがなかったため面食らいましたが、正直に「いいえ」と答えたところ、その教官は「試験でも補助は一切できないことになっています。下で確認してきます。」と言って教室を出て行きました。結局、同席を認めてはもらいましたが、その時は「気難しそうな人」という印象を抱かずにはいられませんでした。けれども後になって判ってみれば、そのS先生は技能教習で親身になってLindaを指導して下さった教官(まさに恩人)のうちのお一人だったのでした。

おまけ
 学科教習では他にもう一人、忘れがたい教官がいます。都合4回その人の授業を受けたでしょうか。視線が落ち着かずパッと見は挙動不審(失礼)。けれども話はメチャメチャ上手い。時間当たりの口数の多さでは群を抜いていました。口癖は「極める」(知識を完全に身に付ける)と「俺と絡んだ奴は」(自分の授業を受けた人は)。あと「ハッキリ言って暴言ですけど」「メチャメチャ偏見入ってますけど」のような前置きに続けて過激な発言をすることも度々。それが可笑しくて何度吹き出しそうになったことか。どことなく雰囲気がお笑い芸人の小峠英二氏(バイきんぐのツッコミの方)と似ているようにも思いました。毛髪の量もそうですが(というより小峠氏は剃っちゃってますけど)、それ以上にイラチっぽい話し方が。そういえば後に相方となる西村氏と出会ったのは自動車教習所の合宿だったそうです。(それゆえ教習所をネタとした名作コントも生まれました。)あの先生はお笑いの道に進んでもきっと成功を収めただろうと勝手に思っています。
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1. 初日

2021-04-17 | 運転免許
(投稿前に思い当たりましたが、随分長いですね。連続ドラマの初回2時間スペシャルのようなもんだと思って下さい。)

北海道旅行(昨年9月)から帰ってから間もなくのことですが、Lindaが意を決したような表情で言いました。

「私、自動車学校へ行く。」

それを聞いて私は「ついにその気になったか」と思ったのでした。以下、その背景について書いてみます。

80歳を過ぎた父は運転が怪しくなり、車庫入れの時に擦ったりぶつけたりすることもしばしば。本人もそろそろ返納を考えなければいけないと感じていたようですし、私もそれを願っていました。けれども病院や趣味の彫刻教室へ行くための足が要る。となれば道は一つしかありません。Lindaが免許を取ることです。

こうなると分かっていれば、ニューヨークからボリビアに戻った彼女にあちらで免許を取らせておき、3ヶ月の経験を積んだ上で来日すれば、こちらで学科試験に合格して日本の免許に切り替えることもできたのですが、後の祭りです。もっとも向こうでは簡単に免許が取れるらしく(注)、技術が未熟なままに日本で乗り始めていたら重大事故を起こしたかもしれないので、結果的には良かったと考えています。(注:私はJICAボランティアでパラグアイに住んでいた時、必要があって自動二輪の免許を取得しに役所へ足を運んだのですが、視力検査と血液検査 (輸血が必要になった時のため) の後、わずかな手数料を払ってその日の内に交付されました。帰国後に翻訳証明書を付けて申請したので小型二輪なら乗れます。1度もその機会はないですが。ちなみに当時滋賀県は小型まででしたが、中型までOKという県もあったのでわざわざ住民票を移してまで切り替えた隊員OBもいたそうな。)

けれどもそれは言葉の壁があって簡単ではありません。外国語で教習が受けられる自動車学校は近くにはなし。(敦賀や大垣も当たってみましたがダメでした。)それで日本語にもう少し自信が付くまで待ってほしいと言われ、それまでの準備ということでアマゾンにて購入したこの本を渡し、学科の勉強をしてもらうことになりました。

ところが数年前に父が田んぼの水を見に行く時に一時停止を怠ったため衝突事故を起こしました。幸いにも廃車にするだけで済みましたが・・・・・重大な人身事故が起こってしまったら、それこそ「破滅」「後の祭り」です。Lindaもこの事故のニュースには随分と心を痛めたようですし、何かが起こる前に手を打たなければならないと腹を括ったのでしょう。

それで9月終わりの土曜日、二人で入校手続きに行きました。なお電話で問い合わせ、外国語で教習は受けられないものの学科試験には外国語の問題も用意されていること、数は少ないものの卒業した外国人もいることを確認していたので、私も何とかなるだろうと考えました。(今思うには楽天的に過ぎました。)

軽トラを運転する場合には普通車でもMT(マニュアル)の免許が必要となりますが、Lindaには必要ないだろうと考えてAT(オートマティック)限定コースにしました。料金を支払う際に通常コースか安心コース(定額)のどちらにするかを尋ねられました。後者は追加料金(ともに1回5500円の補習料金や再検定料)が発生しない分だけ高額に設定されているとのこと。迷いましたが、仮に元が取れなかったとしても「あの時安心にしとけば」と後悔するよりはマシと判断。(そこそこ年齢もいってますから若い人ほどスムーズにはいかないだろうと考えたこともあります。一種の保険ですね。)あとスペイン語の学科教本(試験問題付き)を購入するかも訊かれました。これですね。決して安くはありませんでしたが、自動車学校経由なら1割引ということで注文。

その後、2階の教室で適性検査を受けることになりましたが、予想外の事態が。テストは全て日本語。Lindaにはできるはずがありません。ところが手助けは一切してはならないと言われたため私も黙って見ているしかありませんでした。(その結果で入校を拒否するようなことはないと言われたので引き下がりましたが。)開始後しばらく経ってからラミネートされた英語の説明が配られましたが、それでも何をすればいいのか全くわからない問題もあったとのこと。

それから1ヶ月以上経っていたと記憶していますが、その結果を記した教習原簿を見て驚きました。たしか5問のうち2問はA〜Eまでの5段階評価のうち最低ランクのEでした。額面通りなら(日本語が解らないという事情が考慮されなければ)「運転の適性は全くなし」と見なされてしまうところでした。

最後に学科教習の第1回を受けて初日は終わりました。(内容は全く憶えていません。)

後日追記


本文で触れたバイクの免許ですが、30年近く前のことなのでとっくに捨てたと思っていたのに捜したら出てきました(翻訳証明書は紛失)。フラッシュのせいで半目になっています。日本なら間違いなく撮り直しですね。

さらに追記

翻訳証明書も人生で初めて取得したパスポート(公用旅券)のケースから見つかりました。(我ながら物持ちがいい。)そのために返送料も含めてたしか8000円以上払ったような記憶が。先に書いたように日本では原付も含めてバイクには全く乗っていませんから、丸損ということになりますが・・・・・将来海外で役に立つ日が来るかも?

ついでながら公用旅券についても少し。縦15.5cm×横10cmと今より少し大きめです。当時は一般旅券が赤(現在のような有効期限5年、10年の区別なし)、公用旅券が緑、そして外交旅券が茶色、そして緑の人は帰国時の税関で何もチェックされず、茶色の人には職員が「お疲れ様でした!」と最敬礼で迎えてくれると聞いたことがあります。あくまで噂ですが。(なお、私はそうは聞いていてもちょっと高いウイスキーを免税範囲の3本を超えて持ち込んでいたので、正直に申告して関税を払いました。)


この旅券の有効期限は出国から帰国までで渡航先は予め決められています。私の場合は派遣国のパラグアイとその前に語学研修を受けることになっていたメキシコ、そして任期中に1回だけ休暇を取って隣国に旅行できるため、ブラジル、アルゼンチンおよびボリビア。さらに任期終了後の帰路も公務員以外は3週間以内なら変更できるため経由地としてチリとエクアドルが加わりました。

上はボリビアのビザと出入国のスタンプが押されたページです。ブエノスアイレスからサンタクルスに入ったのが1991年8月18日、そしてラパス(エル・アルト国際空港)から出国したのが30日ということで約2週間滞在した訳ですが、(住んでいた先住民の村は別として)パラグアイよりずっと居心地が良かったことを憶えています。とはいえ、後にボリビアとこれほど深い結び付きができることになるとは想像だにできませんでした。
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