国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

警告!(大袈裟な)

2015-10-12 | 結婚@NYまで
前回予告した「私はどういう人間なのか」ですが、あまりにも中身がドロドロなので本文には上げず、コメント欄に隔離することにしました。読まれるのは自由ですが、筆者としてはとてもお薦めできません。

追記:コメント欄は修正不可能(消してから再度書き込むしかない)ですが、私は文章に不備があると感じたら直さずにはいられない性分なので、(二度と読み返す気の起こらない代物とはいえ)トップページから見えない場所へ隔離したのは正解でした。
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いきさつ2

2015-10-10 | 結婚@NYまで
一方、私がLindaのことを知ったのは正確には言えませんが4~5年前になるでしょうね。それより前だったとしたら、聞いたけれどもそのこと自体を忘れてしまったということです。(顔写真はメールのやり取りを始めた少し後にスカイプで検索して見つけましたが、3つ並んでいるのがどれも別人に見え、正直よくわかりませんでした。)

私はパラグアイから帰国した後、籍を残しておいた大学院(農学関係)に復学しましたが、K君も数年後に同じ大学の別の研究科(国際関係)に入学したので、よく会っていました。(Aさんと何度かお目にかかったのはその頃です。)二人とも学業を終えて出身地へ戻ることになりましたが、私が毎年3月に学会参加のため上京するので、都合さえ付けば会うようにしています。

で、ある年のことですが、彼は「妻の従姉妹にまだ独身の女性がいるんだけど会ってみないか?」と持ちかけてきたのです。(40代の半ばを過ぎても一向に結婚する気配のない私を不憫に思っていた訳でもないのでしょうけど。)しかし、その時は「今更いいよそんなの」と謹んで辞退しました。もう長いこと「自分はそういう人間じゃない」と思っていましたので。その頃の私はこのまま結婚せずに一生を終えることが「既定路線」であると考えていましたし、それに全く不満はありませんでした。

では私はどういう人間なのか、について次回からお話しします。
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断言

2015-10-09 | 日記
今年は青年海外協力隊50周年ということで全国各地でさまざまな催しが開かれているようですが、草津でも滋賀県青年海外協力協会(SOCA)主催のイベントが明日行われます。私も顔を出したかったのですが、このところ日本語教室に穴を開けまくりなので断念。(先月29日は渡航さえなければ開講の予定でした。)

思うに、あれに参加しなかったらK君に出会うこともなかった訳で、Lindaと私の人生が重なることも99.99999999..............%なかったでしょう。そして、ずっと日本に居続けたとしたら他の誰か(日本人)と一緒になっていたかも。いや、それは絶対ないな(キッパリ)。
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そうだったのか

2015-10-08 | 日記

今朝再び市役所の市民課へ行ってきました。先日提出した婚姻届が反映された戸籍謄本をもらうためです。それも含めてビザ申請に必要な書類一式を今日中にLindaに送ります。この前は外国籍と思われる方々がひっきりなしに訪れていましたが、今日は朝一で乗り込んだため誰も。(待ち時間にそれっぽい若者2名を見かけましたが、単に金髪と茶髪の日本人女性でした。)

こちらは私の住民票です。前住所が目を引きますが、都合15年住んだ名古屋市には最後まで転入届を出さなかったのでこうなりました。
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いきさつ1

2015-10-06 | 結婚@NYまで
LindaにはAさん(名前の頭文字)という従姉妹がいて日本人男性と結婚しています。一方、その旦那さんのK君(同)というのは私と旧知の間柄です。(この2人が出会って結婚に到るまでがまた長篇小説にもしたくなるほど感動的な話なのですが、直接聞いた訳ではなく、間違ったことを書いてしまっても困るので詳しくは述べません。)では、どんな間柄かといえば・・・・・

K君と私はJICAボランティア(青年海外協力隊)として南米のパラグアイに派遣されました。その前の語学訓練(スペイン語)から一緒です。1989年4月のことですから、もう26年前になりますね。(早いもんだ。)彼とは職種が同じ(農業指導)ということもあり、訓練所でも任地でも孤立していることの多かった私としてはよく言葉を交わした方です。ちなみに彼は任期中に休暇を取って旅行できる権利を行使して隣国のボリビアを訪れAさんと婚約、そして任期終了後に再渡航して結婚しました。一時期名古屋にも住んでいましたが(後述)、現在は東京在住です。

私は婚約後Lindaに「いつ僕のことを知ったの?」と尋ねてみたところ、23年前と答えたので非常に驚きましたが(もっと最近の話だと思っていたので)、ボリビアへ一時帰国していたAさんから私のことを聞いたそうです。ただし、その時点で私はAさんと面識がありませんでしたので、おそらくK君からの又聞きということになるのでしょうね。

いずれにせよ、Lindaは「そんな人ならいつか会ってみたいものだ」と思ったそうです。もしかして白馬に乗った王子様みたいな姿が頭に浮かんだのでしょうか? ということで、K君がその時私について何を語ったのかは前々から気になっています。敢えて問い質すつもりはありませんが・・・・・

それにしても23年というのは気の遠くなるような話です。ブラームスの交響曲第1番が着想から完成までに21年かかったということですから、それよりも長いんですね・・・・って、何でそれと較べる?

(この話を聞かされた直後、Lindaに「その間に誰かいなかったの?」と尋ねましたが、「誰も」との答え。ニューヨークに来てから同郷人に食事に誘われたことはあるけれど、とくに魅力は感じられなかったのでそれっきりになった、とのことでした。問い返された私の方も次回以降いろいろ書きますけど要は「誰も」という点で一緒でした。)

ついでに彼女に私の顔をいつどこで見たのか尋ねたら「Facebookの写真」と答えたので、そちらは早くとも4年前ということになりますが、その私がネットのあちこちで使っている自画像はといえば、アフリカ南部にあるナミビア滞在中に悪戯心で(翌年の年賀状に使うため)スキンヘッドにした直後に撮ってもらったものです。それを見て「素敵な人」と思った(そして私に手紙を書く気になった)ということですから、一風変わった美的感覚を持っている人なのかもしれません(苦笑)。
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出会い

2015-10-03 | 結婚@NYまで
私たちは米国(ミシガン州)で初めて会った日の翌日に婚約し、米国(今度はニューヨーク)で再会した3日後に結婚しています。これだけだと荒唐無稽な話に聞こえてしまうでしょうが、実際には手紙→メール→スカイプ(ビデオ通話)を通して1年4ヶ月ほど親交を深めてきました。

では、どのような切っ掛けで私がLindaから最初の手紙を受け取ることになったのかについて次回以降に説明するとしましょう。(これからだんだん一回分が長くなります。)
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恋愛 or お見合い?

2015-10-03 | 結婚@NYまで
もし私が誰かに「恋愛結婚ですか?お見合い結婚ですか?」と尋ねられたら返答に窮するでしょうね。

Lindaは自分で見つけてきた相手ではない。とはいえ、全くつながりがなかった訳ではないし、出会う場所を誰かにセッティングしてもらったということもないので、お見合い結婚には該当しない。一方、2人が恋人同士だった期間は厳密には約30時間に過ぎないので、これを恋愛結婚と呼ぶのはどう考えても無理があるような。

ということで「どちらでもありません」と答えることになるでしょうけど、実は高校生の頃からその予兆はありました。(それについては後で書くことになると思います。)
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一歩前進

2015-10-02 | 日記
今日から出勤しています。時差ボケを懸念していましたが、昨晩は思いの外よく眠れました。家を出るまでの間、留守録しておいたNFLのゲームを観ていましたが、週末もそれに忙殺されるでしょう。これまでと全く同じ生活です。妻が遠くにいることもあり、私には結婚したという実感がまるでありません(苦笑)。ところでNYでは地下鉄での移動中に不覚にもスマホを落としてしまいました。たぶん出てこないでしょう。それでインターネットのない自宅では全く連絡が取れなくなりました。(同時にSIMカードも失ったためです。後の祭りですが、どうせ使えないなら取り出しておくべきでした。)これはちょっと辛い。

なお、出勤前に市役所へ寄って婚姻届を出してきました。結婚登録証明書(英語)とLindaの出生証明書(スペイン語)は日本語への翻訳を求められたので辞書を片手に格闘。窓口で1時間以上待たされ、「もしかしてダメなのかな」と不安を抱かずにはいられませんでしたが、無事に受理されました。(市民課の人がNY市で発行された書類の有効性について法務省に問い合わせていたようです。)戸籍に婚姻の事実が反映されるのは来週になるそうなので、それを待って戸籍謄本を申請します。これがないと私もLindaも前に進めません。私は大阪入国管理局大津出張所へ行ってLindaの在留資格認定証明書を、彼女は在ボリビア日本大使館にて来日するためのビザ(Visa como cónyuge o hijo(a) de residente permanente en Japón)を取得しなければなりません。まだまだ道のりは長いです。

(なお、次回からは今に至るまでの回想も記していきます。過去と現在進行中の出来事がごちゃ混ぜになることで読みづらくなるかもしれませんが、とりあえず別カテゴリに分けることにしましたのでご容赦下さい。)
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