軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

山野で見た蝶(9)キベリタテハ

2020-02-14 00:00:00 | 
 今回はキベリタテハ。前回、山野で見た蝶(8)でメスグロヒョウモンとのちょっと不思議な出会いをご紹介したが(2019.1.25 公開)、今回のキベリタテハの場合も、似たような感じのする出会いであった。ただ、このキベリタテハの場合は一度はカラマツの高い梢の先に止まっていたが、そのまま遠くに飛び去ってしまい、二度と戻ってくることはなかった。そして、その後も現在まで見る機会はない。したがって、私が撮影できたキベリタテハの写真は今の所次の1枚だけである。

浅間山系で見かけたキベリタテハ(2014.9.11 撮影)

 この時は、高峰高原から湯の丸高原に抜ける山道をドライブしていた。標高2,000mのこの辺りならキベリタテハに出会えるかもしれないね、などと妻と話しながら車を走らせていた時、少し前の上空を滑空する黄色い帯のチョウが目に入った。左手の斜面に生えているカラマツの枝先に消えて行ったが、キベリタテハに違いないこのチョウがまだ止まっているかもしれないと思い、車を停めてその辺りを目で追うと、目の高さより少し高い枝先に翅の先の黄色の帯が認められた。

 この時カメラに付けていたレンズは105mmのマクロレンズで、昆虫や花などを接写するには適しているが、7-8m先の蝶の撮影となるといい結果は期待できない。しかし、まずは撮影ということで、写したのがこの写真である。キベリタテハはこのあとすぐに飛び去ってしまったので、レンズを交換する余裕はなかった。

 蝶の中で、何が一番好きかと考えた時に、候補として思い浮かべる中に私の場合やはりキベリタテハが入ってくるし、妻は一番にこのチョウを挙げる。そうしたこともあり、高峰高原を走りながら上のような話をしていたのであった。

 義父のコレクションを見ると、キベリタテハは3頭保存されている。1963年に那須で採集した1頭と、1968年、1975年に赤城で採集した2頭である。

 このキベリタテハは、前翅長32~43mmのタテハチョウの仲間で、よく見かけるキタテハ、アカタテハなどよりも大型で、ヒオドシチョウと同程度である。写真のように外縁が黄白色にふちどられており、翅表の地色は、濃いぶどう色をしている。亜外縁には青色の斑列がありとても豪華で美しい。
 裏面は全体に暗褐色であるが、翅表同様黄白色の縁取りがあり次のようである。

1968年8月11日 赤城採集個体の翅の表(上)と裏(下)(2020.2.5 撮影)

 北海道から本州の東北地方、中部地方に分布しており、年1回7月下旬から羽化し、8~9月に多く見られるとされる。幼虫の食樹はカバノキ科のダケカンバ、シラカンバ、ヤナギ科のドロノキなど。成虫はミズナラ、ダケカンバの樹液を吸う。

 いつもの「原色日本昆虫図鑑」(横山光夫著 保育社発行)での記述を見ると次のようである。

 「翅紋の特異な蝶で、生態・習性は『ヒオドシチョウ』に近似の種である。低地にも見られるが中部では
1,500m位の高地に多く、飛び方は『ルリタテハ』『ヒオドシチョウ』よりもゆるやかで、羽ばたいては流れるように舞って山道の路面・岩石・倒木などに翅を開いて止り、飛び立ってはまた同じ場所にもどって来る。樹液・牛糞などに好んで集まり、花には飛来せぬ。・・・成虫越冬し、(卵を)バッコヤナギ・オオバヤナギ・ドロなどの小枝に50~100個帯状に巻いて産み付ける。やがて幼虫は糸で巣を作り終齢まで共棲する。・・・」

 東信地区での発生状況については、故鳩山邦夫氏と故小川原辰雄氏の共著書「信州 浅間山麓と東信の蝶」によると、「各地の渓谷の上流部や高原疎林、林道、高山の稜線などで見られる。各産地とも個体数は多くはなく、年による個体数の増減が知られているが、近年の発生数に目立った減少傾向などは認められない」とある。また、信州昆虫学会監修の「長野県産チョウ類動態図鑑」の生活史の項には「・・・越冬後の♀の観察例が少ないなど生態に不明な点も多く解明が待たれる。晩夏~秋口にかけて多く見られ、山地に生息するチョウでは最も遅くまで活動する種の一つである。」といった興味深い記述がみられる。

 このキベリタテハの写真撮影については、栗岩竜雄氏の写真集「軽井沢の蝶」(ほおずき書籍発行)に次のような記述があり、参考になるが、同時に撮影の困難さも伝わってくる。

 「・・・それっきりお目に掛かれないまま十余年の月日が流れました。・・・緑の木立を悠々と滑空する黄色いリングに、青白い炎のような斑点が光る・・・。同じ空域を何度も往復しながら、またも私を寄せつけません。遠めに押さえた写真はとても満足できる代物とはいえず・・・。・・・基本的な生息域は高標高地。ただし越冬後には里へも下ってきて、目撃頻度が増します。前世代の活動期末となる6月は最も撮影が容易。・・・」

 また、故鳩山邦夫さんもこのキベリタテハに対する思いは強かったようで、著書「チョウを飼う日々」(講談社発行)では第一章の「私の原体験」のなかで次のように記している。

 「・・・というのは、たった一頭のキベリタテハが私の人生を変えてしまったからであり、その運命の一頭に比べ、チョウ屋二年目にしてキベリを三〇以上も並べることのできた娘の強運に、今昔の感しきりだからである。
 小学校二年の夏、つまり、私もチョウ屋二年目にしてキベリタテハに出会った。その年、前述したTさんとチョウ三昧の二週間を軽井沢で過ごしたのだが、すでにTさんも帰京し、夏休みの残り日数が少なくなった八月の末、兄と二人でメインストリートの上にある水源地へ向かった。そこはもう秋の気配、七月下旬から八月初旬にかけてのチョウの最盛期に比べれば、夏を謳歌したチョウたちの翅も傷み、個体数も激減していた。
 その道を登り詰めると、小さな広場に出る。そこは七月下旬にはコムラサキが乱舞し、スジボソヤマキチョウとテングチョウがミヤマカラスアゲハの♂と競って吸水に訪れ、ムモンアカシジミ、ウラキンシジミ、カラスシジミが梢を飛び交う屈指の好採集地で、その脇には小さなダムの壁にネットを伸ばして壁面に静止するタテハチョウの仲間を採集することができた。
 その日、私は日課のようにダム下に立った。そしてダムの壁に翅を広げて、ベタッと貼り付くように止まっていたキベリタテハを捕獲したのであるが、さすが三〇数年前のことともなると、前後の事情の記憶はかすみのかなたにけむっている。静止しているキベリの色彩に驚きながら、そっと近寄っていったのか、それとも他のチョウを追っている私のネット近くにどこからともなくキベリが舞ってきて壁面に静止したのか、当時の興奮の大きさゆえに、かえって不鮮明になっている。・・・もちろんキベリは珍チョウではない。しかし軽井沢の町近く、すなわち標高1,000メートル前後でキベリを見かけたのは信濃追分で一回と、別荘近くの一回の計二回しか体験していない。
 兄の採っていない、そしてクジャクチョウよりはるかに高級な初物を、私は母にさんざん自慢した。・・・兄の採ったクジャクチョウと運命のキベリタテハとのめぐり会い、それらは私の原体験そのものであり、それを縁どるようにチョウの師・Tさんと祖父・一郎、そしておじのことばが、少年・鳩山邦夫のチョウ人生を決めていったのだろう。」

 2著書から、軽井沢の地籍内にこのキベリタテハがいることは判ったものの、クジャクチョウ(2018.10.5 公開の本ブログ参照)を我が家の庭に誘引してくれたブッドレアなどの花にはキベリタテハはやってこない。年によっては多産することもあるというこのキベリタテハなので、また山道で出会う日が来ることを願うことにしよう。弘前で見たアカシジミの大発生と乱舞(2017.6.30、2017.7.7 公開の本ブログ参照)、そんなことがこのキベリタテハで起きないかと夢見るのである。

【2020.5.8 追記】
 浅間山系でキベリタテハを見かけた時、3Dデジタル双眼鏡でも動画撮影していたことをすっかり忘れていた。最近になってデータを整理していてこれを見つけた。
 これを何とか編集したので、ここに追加する。

  
 

 

 








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