基礎練習は演出効果を考えて
今までの書き込みを観ればお分かりかと思いますが
基礎練習を闇雲にやるのではなくて
どういう演出が必要だから
こういう基礎練習をやろうという考え方のほうが
効率的です。
もうひとつはこの芝居にかかわることによって
その子の人生にどういうメリットがあるのか、を
考察すると、何を教えるべきかが見えてくるかもしれません。
呼吸
発声練習は声楽の先生がついていましたので
私が教えたのは呼吸法です。
実は子供もそうですが
高校生も呼吸が下手です。
腹式呼吸はいまどきオペラでもやらないということなんで
普通に息を吸います
一杯すったところで
止めて3つ数えて
目一杯吐きます。
これを三回繰り返して
とりあえずお仕舞いです。
子供は忙しいので
2時間の練習で
いろいろやらなくてはならないのなら
せいぜいこれくらいでしょう。
笑う
泥棒の笑いです。
わざとらしく大きく笑ってもらうことにしました。
こうすることで、胡散臭さがでます。
つまり、わざとらしいということは
毒にも薬にもなるということです。
昔、私が「泣き虫なまいき、いしかわ啄木」に書生の役で出演したときの練習のエピソードです。トランクを抱えるシーンがあって、最初は重そうに、ある瞬間重さがまるでない様に演技しました。とたんに、演出から「そういう演技はしないで欲しい」といわれました。演出の意図は、自然な演技だったのでしょう。でも、それでは、このシーンの意味はなくなってしまうのです。
「私には価値があっても」「あなたには価値がない」
私が、ある瞬間トランクを空気のように持った意味が分かってもらえたでしょうか。
泥棒は、なぜとってつけたように笑うのでしょう。
これは、大人になったときの子供たちへの宿題のつもりの演技指導でした。
目線をそろえる
集合と拡散の応用です。
泥棒たちの演技指導を選んだ理由のひとつに
基礎練習がそのまま本番の演技に生かせる、というのがありました。
そのひとつが目線をそろえるというものです。
泥棒が暗い家の中をびくびくしながら入っていきます。
この時の、びくびくする演技ですが
やらせてみると、一人一人がおどおどするだけで
人に見せるときのインパクトにかけます。
そこで、目線をそろえることにしました。
まず、目標となる点を決めます。
劇場だと時計とかライトとかです。
合図で一斉にそこの点を見ます。
ここで、動物が音を出しても面白いのですが
音がないところで、動きが合うと、もっと面白いのです。
だから、観客が気が付かないように
舞台上の一人が合図を出します。
私は「つっ」と小さく合図させています。
この音はほとんどの観客が気づきません。
右、左、上、全員がばらばらの方向を見た瞬間
動物が鳴きます。
いつも高校生に教えるときには
集中力の練習方法のひとつとして
教えています。
拡散と集合
普段私たちは、安全な距離で人と接しています。
と、私は説明しました。
これは、子供たちには難しかったようです。
大学生にも難しかったかもしれません。
つまり普段は、お互いが傷つかない距離をもって
会話を交わしているのですが
これではドラマにならないのです。
ここで、キーワードとなるのが
拡散と集合です。
二人だけの会話で、お互いの距離をどうとるのか
というのは、難しいし子供たちの演技ではほとんど必要とされません。
子供の芝居では、感情をうまく表現しているよりも
状態を表現していることのほうがおおいのです。
「おなかがすいたなあ」
「ぺこぺこだよ」
ここでは舞台上に拡散しているほうがいいでしょう。
「明かりが見える」
「どこ、どこ」
みんなが一箇所に積み重なるように集まる。
絵が見えましたか?
心理と立場。
さて、泥棒の演技をするとなると泥棒がどういう性格でどういう人たちかを知る必要がありますが、「悪い人」ぐらいのイメージしか子供にはないようです。
現実にはいろいろな泥棒がいてもおかしくありませんが
物語の中で彼らが生きるには、それなりの性格を構築する必要があります。
では、泥棒はどういう立場にいるのでしょう。
と、私は説明しました。
性格を知るよりも、立場を知ったほうが役を作りやすい、ことが間々あるからです。
つまり、性格は普遍性がないのですが立場は普遍性があるからです。
泥棒の立場というのはどういうものでしょう。
私が説明したのは、泥棒はどんなにたくさん盗んでも
威張れるのは仲間内だけだということです。
たくさん盗んだことを誇ればたちまち足が付きます。
泥棒と言うのは一般的にそういう立場にいる方々です。
これに物語に合わせて性格をプラスしてみましょう。
普段はいつもこそこそし、威張りたいけれど威張れない。
威張りたいけど威張れるのはいつも同じ相手、ということになります。
では、なぜそういう立場を選ぶのかというと
理屈はいろいろあるでしょうけど
威張りたいだけで、実は気が小さいのでは、と考えました。
威張りたくなければ
サラリーマンのように泥棒をこなし
傍からは泥棒だと気づかれないでしょう。
こういう人を「怪盗」とも言います。
でも、それでは「ブレーメンの音楽隊」にはなりません。
大声で自分たちがいかに優れた泥棒であるかを自慢し合い
不気味なものに出会うと、恐れおののく。
性格だけで、彼らを語ろうとすると
物語になりません。
一度書いたら消えてしまいました。
同じものを書けるかな?
一昨年、大学生が主催する子供ミュージカルの手伝いをしました。
会場も決まっていないし、台本もできていないし、ないないづくしのところから始まったミュージカルでした。
私は大学生には会場の借り方や、脚本の書き方を教えていましたが、子供たちの演技指導もやることになりました。
演出は別にいたので、私は6人ほどの子供の担当になりました。
子供を教えるのは私も初めての経験だったので、子供たちにちょっと練習してもらいましたが面白くなりません。
台詞はまあまあ言えるのですが、動けないのです。
オーディションもなしで集められた小学校4~6年生なんであまり期待するほうが無理なんですけど、何とかしなくてはいけません。
そこで、子供たちにこういう説明をしました。
1.動くということは止まっている状態の連続です。
2.動くスピードが変わることで意味が変わってきます。
3.うまく止まれるようになってください。
1.はパラパラ漫画をイメージしてもらえば分かりやすいと想います。実際には私が演じてみましたが。
2.はそのパラパラ漫画でたとえれば、幅跳びの漫画で跳んだ瞬間からゆっくりにしたときと、早くしたときでは、同じ漫画が違う意味になるということです。
3.は動きがどう止まるかによって、演技に意味が出てくるということです。
幸い作品が「ブレーメンの音楽隊」で、彼らの役どころは泥棒でしたので、練習はストップモーションからはじめました。
ゆっくり歩いて、ストップ(ここに犬の声がかぶれば、演技の意味は分かりやすいですね)。
早く歩いて、ストップ(はい、物陰に隠れて)。
これは、泥棒の演技でなくても基本は同じです。