1962年の映画「奇跡の人」。
東京演劇アンサンブルの舞台を見たのが1971年。冒頭のヘレンがシーツの間を遊ぶように歩いていく姿と、ラストシーンでヘレンの手だけをピンスポットで追いかけていくシーンが素晴らしく印象的な舞台だった。
その直後に映画版も見ているはずなのだが、今回見直して印象が全く違うのに気が付いた。昔観た「奇跡の人」はシーツのシーンから始まっていた記憶があるのだ。
あと微妙に記憶にないシーンが多い。
昔観たのはカットされたものだったのかもしれない。
さて、久しぶりに見て驚いたのは、パティ・ディユークのうまさだ。目が見えなく、耳も聞こえないのだから、演技の中心は口になる。その口の表現の変化が素晴らしい。
他に気が付いたのは、身長152.5㎝のパティ・ディユークが7歳の子供に見えるように、他の役者が高身長だということだろうか。
昔観たときには、物語に心が行って、こういうところが見えなかった。
パティ・ディユークがサリバン先生をやったバージョンもあるようだが、検索しても日本語吹き替え版しか出てこなかったので、こちらは見ていない。
WIKIに日本での上演が記載されているが、確か奈良岡朋子がサリバン先生の舞台もあった気がする。
実話であるということと、極めてよくできた脚本であるため、数多く再演されているのだろう。ただ、舞台を観に行くのはなかなか大変だが、映画はこういう時に助かる。特に、DVDになってからは昔の名作が比較的簡単に観られる。お勧めです。
ラジオを聴いていたら
「ん」に心を込めないと
セリフに心がこもらないという説を
説いていた俳優がいた。
初耳だが
面白い説だと思う。
「死んでも」
「どんなことになっても」
「いい加減だから」
いいセリフがいくらでも。
でも、
「だめだ、君でなければ生きている価値がない。
それなのに、愛してると言う勇気は僕にはない。
好きだ。大好きだ」
臭いセリフには
「ん」はない。
「だからお前はだめなんじゃ」
あ、「ん」が。
くだらないおしゃべりを楽しんだのだが
そのなかで「自然なしゃべり」が出来ない劇団が多いのはなぜ?
という話になった。
もっとも、自分の劇団の中では「自然にしゃべれない」ほうの二人だったのだが・・・・。
確かに、言われてみれば、昨日までお芝居なんてやったことないよ
という新人が入ってきても
公演の時には、普通にセリフをしゃべっていた。
個人的には市毛恵美子の影響が大きいと思うのだ。
彼女が入ってきてから、劇団の質が変化したように思うから。
でも、本当のところはよくわからない。
「普通にしゃべる」「自然にしゃべる」簡単そうなんだけど
意識して教えようとすると実に難しい。
自分で書いたものを読み返してみると
時々音の聞き方という説明をしています。
もちろん相手のセリフを聞くというのもあるのですが
音そのものをどう聞くかという意味も含めています。
後ろから声ををかけられた時
あなたは内容に反応していますか?
ふつう、内容になんか反応しないですよね。
音の持つニュアンスに反応しているわけです。
逆に言うと、どう音を出せば相手が演出の思う通り反応するか
音を出す側の、責任も出てきます。
台詞の内容ではなく
台詞の音に反応させる。
歌舞伎とか能ってある意味そんなところありませんか?
時々読むリズムの違いに戸惑います。
どうやら自分の作品は、読むリズムがちょっと違うようで
初めて読むとうまく言えないかもしれません。
あと、語る、喋る、うたうということも重要なんですけど
意識してますかね。
明日は仕事を休むつもりなんで続きがかけるといいな。
語るというのを、うまく表現してる例です。
落語もいいですけど、こういうのもいいですね。
このところ、ラジオでよく耳にする読売新聞のCMです。
http://www.yomiuri.co.jp/cm/
補欠に焦点を当てているところが、うまい。
いや、うますぎかも。
「泣く」のほうが説明が簡単かなと思いましたので
指導するときに意識しているのが
「なぜ」
です。
ただ、想像されているのと違うのは
「なぜここで泣かなくてはいけないのか」という説明はほとんどしません。
こういう演出よくいますよね。
これって、文学なんです。
心理を説明して、「だからほら、泣けるだろ」
こういう発想は社会に出てからほとんど役に立ちません。
そうではなくて「泣かせるほうの力が必要なんで」
「こうやらなくちゃ、相手は泣けないよね」
「相手が泣くために、どんなことを注意しなければいけない」
「なぜ、こいつが泣くことが重要で、そのためにはこっちがどういうトスを出してあげる必要があるのか」
という説明をしっかりやるように努力してます。
他人はいきなり泣いたり、いきなり怒ったりしません。
必ず相手がいるのです。
日本の古い映画(1970年代まで)や状況劇場の役者の一部はこういう喋り方をしていました。
宇野重吉の喋り方もどちらかというと、こんな感じでした。
自分で台詞を喋るときは時々意図して使います。
教えたほうがいいのかなあ?
どういう効果があるのかは、試してみれば分かります。
今日は沼津の港でお昼だった。
入った食堂でNHKで大河ドラマとか宮崎あおいの「ちょうちょうさん」のCMをやっていた。
一緒に食事をしていたかたが、昔大河ドラマにも出たことのある人だったので、ちょっと振ってみた。
「宮崎あおいの「ちょっと待って神様」というドラマが好きだったんですよ」と。
なぜか、ドラマに興味のなさそうなキャプテンが話に乗ってきて「どんな女優が好きか」という話になった。
いろいろ話が出たのだが、それは省略して印象に残ったのは
「宮〇り〇は共演して嫌いになった」
とぽつりといわれた、ことだった。
「わがままだったんですか」と聞いたら「そう」とのこと。
でも、個人的に思うのだがいい女優って、そのくらいじゃないとだめなんじゃないかな。
相手に合わせてばかりいたら、脇役にしかなれない。
ただ、わがままを言っていてもそれが赦される限度とか、それを赦してしまう才能とか努力が見えないとだめなんだけど。
でも、性格もあるからなかなか難しいのかな。
一度そういうわがままを言える子に育てたいと思ったのがいたけれど
結局スタッフになってしまった。
初心者が多いときには、相手の口元を見ているだけでいいとか
何もしなくていいとか、教えるのだが
適度な相槌や、受け答えをするといい場合もある。
忘れてはいけないことは、役の上のあなたは
相手の台詞を初めて聞くのだ、ということだ。
相手の台詞がわかっているかのような
リアクションだけは避けたいものだ。