人は笑うのは好きだが、笑われるのはどうだろう。
意図してギャグを言った時に笑いを取れるのは快感かもしれないが
多くの場合、笑いは人を馬鹿にした時に生まれがちだ。
相手を叩かない漫才や相手の欠点を指摘しない漫才をやろうとしたら、なかなか難しいだろう。
だから、笑いはとても危険なのだ。
それを意識したときに、初めて人の心を動かせるのではないだろうか。
井上ひさしの笑いは身近な人間に対する暴力(奥さんへのDV、奥さんの親兄弟への言葉の暴力)が、創作の原動力だと知ったときには驚いたし、つかこうへいのあの自虐的な日本人像は在日韓国人であることの裏返しだと知ったときには妙に納得したものだ。
笑いは人を救う、でも、殺しもする。
だから、笑いは難しい。
古典的なギャグは繰り返しだ。
先日見たいずの国市での芝居でもこの手法が多用されていた。
一番ばかばかしくて笑えたのは、白雪姫に会いに来た王子が
自分がやってきた状況をことあるごとに繰り返すギャグだ。
「私は馬に乗ってやってきました。ぱかぱかぱかと、馬にゆられてやってきました」
繰り返すことで、笑いが生まれる。
ただ、それだけだとつまらない。
どこかで変化する必要がある。
天然はいじらない。
いるでしょ周りに、なぜか面白い人が。
こういう人がキャストになったときに
もっと面白くなるのではと
いろいろやらせる演出家がいるが
まずは真面目にやらせて、そこそこ面白ければいいとしたほうがいい。
こういう人は真面目にやればやるほど面白いのだ。
本番ではその見えない力が遺憾なく発揮されるに違いない。
逆に、いかにも面白いことをやらせると
魅力が消えてしまうことが多い。
なんとか客に受けたい。
ついギャグを入れそうになりますが
成功した例を知りません。
動きで笑わせることを試みてください。
つまずく、ころぶ、すべる。
何でもいいです。
で、それがあとでなるほど
となったらなお成功です。
誰のために書くのか、という話でこういうのをみつけた。
後輩のブログだが、具体的な内容はない。
http://nabegen4ro.exblog.jp/
トークのページにも具体的な内容は今のところないようだ。
http://kyunasaka.jp/topics/mac/mac26.html
自分自身だったら、なぜ「笑いを求めたはずのところで笑いが起きなかったのか」とか「自分だったらその問題をどう取り上げるのか」という視点でしか書かない。
だから、自分の中で答えがないことは、基本的には書かないし、面白かったことは、「なぜ面白かったのか、それは自分で再現できるのか、あるいはなぜ自分ではできないのか」という視点で書くことになると思う。