演劇書き込み寺

「貧乏な地方劇団のための演劇講座」とか「高橋くんの照明覚書」など、過去に書いたものと雑記を載せてます。

集中力が必要な理由とは

2009年10月27日 20時48分09秒 | 基礎練習
夢中になって演技をするのと、集中して演技をする。
似ているようですが、少し違います。

音楽をやっている人だとよく分かるかもしれませんが
集中しているときは、聞きたい音だけが聞けることだと言ってもいいかもしれません。

普通は演劇の練習に集中力を高める練習とかはないようです。

では、私はなぜ集中力を高める練習が必要かと思ったかというと
生徒に「いい大学に入ってもらいたい」と思ったからです。
レベルの高い大学である必要はないのですが、本人が望む中で
いい大学に入るには、ある程度の成績が必要です。

そのためには、「演劇の練習をすればするほど成績が上がる」というのが
一番手っ取り早いかなと考えました。
演劇部にいたからといって
演劇にかかわり続けるのはほんのわずかです。

だとしたら、「練習すればするほど、いい大学に入れる」ようにすることは
たとえ演劇にかかわらなくなっても
本人のためのメリットとなります。

もちろん個人差が大きいので
全部に対してうまくいったとは思いませんが
生徒にも、最初から目的を告げて作業していたので
高校時代に限ってはある程度の成果を得たと思っています。

残念ながら、大学にいってからは
本人がなぜああいうことをやっていたのか
自覚しないと、なかなかうまく活用できないとは思いますが
長い人生なんで、ある日思い出せばいいと思っています。

次回は、演劇にどう役立つのかと具体的な練習手法です。

滑舌はなぜ重要か

2009年10月24日 14時45分33秒 | 基礎練習
ここ2日は夜になると呑み過ぎてダウンしたので書けませんでした。

で、肝心なことを書いていないのに気が付きました。
「滑舌はなぜ重要か」ということです。

高校生のお芝居や、今日観てきた劇団でもそうですが
声は聞こえているのだけれど
何を言っているのか、よく分からない、というのによく出くわします。

高校演劇では「講評」がありますので、講師が何を言うかなと思って聞いているのですが、だいたい「発声が出来ていない」というのです。
でも、声は聞こえているのだから、私からすると「滑舌ができていない」と思うのですが、違うでしょうか。

ちなみに、私が考える滑舌とは、明瞭な発音が出来ることで、早口言葉とは違います。

小さな声でしゃべっても、観客には意外とちゃんと聞こえているものです。

発声は大きい声でなく「響く声で」
発音は「明瞭」に

ついでに、呼吸は腹式でなくてもいいから、下の腹筋を鍛えよう。
腹筋は上と下があって、上半身を起こす動きよりは、足をお腹に近づけるほうが
効果があるようです。

腹筋力がないと、いい例が、ため息演技です。

息がコントロールできないので
何かしゃべるたびに、ため息のような呼吸が入る演技です。

先日観た静岡の劇団でもそんな感じの演技をする人がいました。
息をためられないので、一度吐き出して、吸おうとするためにこんな演技になります。

自分のビデオを観ていてこういう癖に気が付いた人は
ブレスの練習をしてください。
基本は大きく吸って、3つ息を止めて、ゆっくり吐きます。
ゆっくり吐くのが肝心です。

滑舌、でもその前に

2009年10月21日 22時29分28秒 | 基礎練習
まあ、毎晩呑み過ぎているので書いていることがおぼつかないのですが、
おとといの書き込みだと、じゃあ、発声練習はどうすればいいのかが示されていません。

少しこれについて書きます。

具体的には次のような練習を薦めていましたが、教えていた生徒は
いまいち理解していなかったようです。
1.呼吸の練習
息をゆっくり吐く。
吐ききったら呼吸を止めて3数えて吸う。

3回に分けて吐く
5回に分けて吐く
7回、10回と増やす。

一番大事なのは
息をちゃんと吸ったり吐いたりすることです。

2.口の端をあげて、笑ったような顔をして声を出す。

口を閉じた状態から、最初ハミングするような感じで、だんだんと口を開きます。
このとき口の端を上げ、口の中の空間が大きくなるのを意識します。
ポイントは、普段台詞をしゃべる音程で声を出すことです。
大きな声が出せても、台詞をしゃべる音程と違っていては
結局声が出ません。

音にすると
「むーあー」っていうようになります。
むーがハミング部分。
あーが声になったときです。

さらに、詳しくやりたい人はプロの先生についてください。
舌を出しながら、アーっとやったりするようですが、私は知りません。

声が出ません、という人には
私とかめおかゆみこさんがぜんぜん違う方向からアプローチして
同じ結論に達した方法があります。
好きな人の名前を大声で言うのです。
「○○さん大好き」
結構効果があります。
相手がいない場合は
「マックベリーさん大好き!」と
叫んでください。

あと、重心の問題とかありますけど
これは説明しにくいので
いずれそのうち忘れなければ。

では、滑舌です。
「滑舌」というのは、すらすらしゃべれることです。
台詞を早く言っても、遅く言っても
ちゃんと、観客に何を言っているのか伝わるようにしゃべれることを滑舌といいます

どうすれば滑舌がうまくなるのか。
今まで、いろいろな本を読みましたが
ずばりどの本も「外郎売」がいいと書いてあります。

自分が高校時代には
そんな本を読んだこともありませんでしたし
伝統のない演劇部でしたから
やったこともありませんでした。

「外郎売」がなぜいいのかといいますと
皆さんいろいろ書いていますが
私は飽きない点だと思います。

「外郎売」はやり方しだいで練習を楽しめるのです。
もともとが、上演されたものですから
舞台でやることを想定したり、道端でやることを想定したりして
練習することが可能です。

つまり、「外郎売」を練習すると
演技の練習も出来るのです。

次回は「集中力を高めるには」です。
明日とは言いません。


なぜ、発声練習が必要なんでしょう

2009年10月19日 12時37分56秒 | 基礎練習
「なぜ、発声練習が必要なんでしょう」問いかけに、前回に引き続き、がんちゃん@お母さん からコメントをいただきました。


>★大きな声が出るようになる.
>(高校の頃,腹式でやる発声法を指導されて練習してました.まず声が小さいと何を言っているのか見てる人に聞こえない.)
>★カツゼツ(漢字が出ない~)がよくなる.
>(また別にカツゼツの練習教材?もありますが,とりあえず発声が基本かと.これも口が回って?いないと見てる人が何を言ってるのか聞き取れない.)
>★テンションが上がる.
>(芝居にはテンションが必要です.大きな声出すと,それだけでテンションがあがる.)

今回は、半分正解で半分はあたらずしも遠からじと、いうところでしょうか。

まず、大きな声がでるようになる、ということですが、よく考えると大きい声でなければ聞こえないのでしょうか。昔、宇野重吉さんの「にんじん」という芝居を観ましたが、お世辞にも大きい声とは思えませんでしたが、後ろまでちゃんと聞こえました。

響く声である必要はあると思いますが、大きい声である必要はないと思います。

よくやる間違いは、台詞を言うときのトーンと違う声で発声練習をしている場合です。それって、役に立つのでしょうか。

教えているときは、大きい声でなくていいから
口の形を注意して、響く音を探すように言っていました。
あと、呼吸。

腹式でなくていいので
長く呼吸が出来るように、いくつか訓練をしていました。
芝居の台詞は、日常の会話と違ってセンテンスが長いので
同じ調子で息を吐けないといけません。
一息でどれだけ長い台詞を言えるのかが結構重要なのです。
大きい声が必要なのではなくて
自分の声をコントロールできることが必要なのです。
詳しくはかめおかゆみこさんの「演劇やろうよ」を読んでください。
大体同じ意見です。

とはいうのもの、口角を上げる口の形作りとか
呼吸の練習をその年の春に、重点的に教えるのですが
なぜか人気がなくて、いつの間にか
大声を上げる、(私からするとあまり意味のない)練習に戻ってしまいます。

これは、「テンションが上がる」というところに起因すると思います。
大声を上げるのは気持ちがいいのでしょう。

実は、滑舌のほうが重要なんだと私は思っているのですが。

明日は「なぜ、滑舌は重要か?」です。

なぜ、ストレッチングが必要なんでしょう?

2009年10月18日 02時20分50秒 | 基礎練習
なぜ、ストレッチングが必要なんでしょう?という、
問いかけに、がんちゃん@お母さん からコメントをいただきました。

>芝居は(役にもよりますが)けっこう体を使います.
>よく体を伸ばしやわらかくしておかないと,ひょんなことから怪我をしてしまうかもしれないからです.
>体を壊したら自分の思ったような演技もできなくなり演出の助言にも答えられなくなり回りにも迷惑をかけ最悪そんな人が続出したら芝居が成り立たなくなります.
>怪我をしないで自分の動きたいように体を動かせるのって大事なことだと思います.

いきなり大正解です。
私が考えるのに練習のときのストレッチには2つの意味があります。
「怪我をしないようにする」
「自分の調子を計る」
怪我をしないようにするというのは、がんちゃん@お母さんのおっしゃるとおりです。

さらに、演劇部に来る高校生には、膝が悪いだの腰が悪いだのと若い高校生らしからぬ疾病を抱えたのが意外と多く、ストレッチはさらに重要な意味を持ってきます。こういう場合は、治療もかねます。

「自分の調子を計る」というのは、自分の体が今日はどういう状況にあるのか確認するということです。これは、若干高度な意識の持ち方といえます。

練習のときのストレッチで忘れがちなのは、体をある程度温めてからストレッチするということです。練習にあまり時間が取れないことが多いので、ついついないがしろにしてしまいますが、基本です。ジムの練習メニューでは、ウォーキングかサイクルを10~15分となっています。

公演前にストレッチはしてますか?

公演の時は妙な緊張が入りますので、怪我の可能性が高くなります。できれば、やったほうがいいです。

さらに、いつもと同じことをすることで、体を縛っている緊張を解く効果があります。イチローがシーズン中毎日カレーを食べるのと同じです。

明日は「では、なぜ発声練習が必要なのでしょう?」です。
考えを聞かせてくださいね。

目からうろこ

2009年10月17日 06時13分51秒 | 演劇
「水戸市は文化を殺している」はmixiにも書き込みをしていたのだが、「目からうろこが落ちた」と書き込みがあった。
もともと、書くきっかけになった劇団員のN山氏とのやり取りの際にも同じような話をして「目からうろこだな」と言われたから、みんなあまり意識をしないことなのかもしれない。

実は、演劇の練習とか公演というのはよく考えると「なぜ?」がたくさん詰まっている。

これから何回かに分けてそれを私はどう考えているのか、について書いていきたいと思っている。

過去にも同じようなことを、書いているはずだが、ひとまとめにして書くとよりいっそう分かりやすいだろう。
高校の演劇部で10年間指導して、一番かけているのはこの、なぜの部分の説明がなされていないと思ったからだ。
もちろん分かっている人には当たり前すぎることばかりだろうが、意外と目からうろこかもしれない。

では、まず練習から。
「なぜ、ストレッチングをするのでしょうか?」

ほとんど書き込みがないこのブログだが、それぞれの答を聞きたいから、明日、私の考えを書きます。

その次は「なぜ、発声練習が必要なんでしょう?」の予定です。


では、水戸市だけの問題か?

2009年10月15日 17時22分58秒 | 演劇
公演を無料でやることがいかにもいいことのように考える風潮は、水戸市だけではなく、全国的な風潮といえる。
この、問題については、日本には制作も文化だという概念がないので、なんでも無料が正しいと思ってしまうところに問題があるといえる。
とくに、素人が何かをやるときには「やらせてあげる」という、概念だ。

しかし、学校教育で例を挙げれば有料公演にすれば、企画して予算を組み現実のものとして、決算するという、社会に出てから一番要求される作業を疑似体験できる上に、補助(グラブ費)に頼るという、依存体質からも脱却することができる。

もうひとつの例を挙げよう。
今、私の住む静岡では新しい空港ができたものの、利用客は伸びず、赤字は県民が負担することになる。では、この状況を打開しょうとしたら、あなたならどう考えるだろう。
制作的な視点をもてば、決して不可能ではないと思う。
旭山動物園の例がある。

私はひとつには学校教育とコラボレーションすることが有効ではないかと考えている。これについては、説明が難しいのでいずれそのうちに。

あとは、導線をどう考えるかだろう。
客が入って、幕が開くまで、あるいは、駅を降りてから劇場にたどり着くまで、そこでどうわくわくさせて、お金をいただくか。
考え方は、同じだとおもうのだが、いかがだろう。

静芸公演

2009年10月11日 07時44分37秒 | 演劇情報
10月18日(日曜日)・・・18時会場 18時半開演
場所・・・静岡市民文化会館中ホール

小島真木作
「通りゃんせ」

入場料=一般前売り2000円 当日2200円
    学生前売り1500円 当日1700円

2話構成らしい。

一話目は「年の暮れ」

二話目は「春子」

どうしようかな。
観にいこうか、それとも手伝いに行こうか。
無視しちゃうか。

水戸市は文化を殺している

2009年10月07日 22時43分44秒 | 演劇
昨夜、友人に電話をしたら
「窓ガラスの花」のテント公演は水戸市の用地の貸し出し条件で入場料を取れないとのことだった。

韓国の漫画や小説が発展しないあるいは衰退した最大の原因が
著作権を無視してコピーしたものを
ネットで見るのが一般化しているからだ。

無料というのは作り手を育てない。

まず、作る側も無責任になる。

韓国の小説でいえば、カルチャースクールでおばちゃんたちが書いた作品だと
著作権料を払わなくていいので
一時期各小説雑誌が採用したら
プロの作家の原稿料も払わなくなり
あまりの、雑誌のつまらなさに売れなくなり
と、どんどん衰退していったようだ。

また、観る側も無責任になる。

藤田まことが企業の買い切り公演は
観るお客さんが芝居を観ようという気持ちがないので
プロでもお客の集中力を維持させるのが出来ない、といっていたのを聞いたことがある。

やらせてあげるという意識では、何も変えることが出来ないし
財政を黒字にすることも不可能だ。

こういう小さなイベントは
「黒字になるように企画してくださいね」
というのが正しい行政のサポートだということに
いつになったら気が付くのだろう。