いよいよヘッドがダメになったようです。
まあ、タダでもらってきて、安いインクでよく頑張ってくれました。
まだ、1台あるのでこっちに頑張ってもらうことにします。
DVDのラベルを焼けなくなるのが、残念ですが、まあ、贈る相手もいなくなりつつありますので、いいとします。
新年だ。
昨年の暮から、ごろごろしている。
漫画ばかり読んで、他には何もしていないに等しい。
やったのはプリンタの修理ぐらいか。
キャノンのip7230というプリンターがB200エラーを出して、今まではヘッドを水洗いすると復活したのだが、今回は何度水洗いしてもだめで、1ヶ月ほど放ったらかしておいたものを、再挑戦してみた。
今回使ったのは、洗いくんという超音波洗浄機。昔、ロットリングペンのインクづまり解消のために買ったものだ。
これで、ヘッドを5回ほど洗浄したら、復活。
昔は洗浄機も高くて、これも1万5千円ぐらいしたが、今では3000円ぐらいで買えるみたいだ。
もう一台はHP3520。
普通の紙は印刷できるのに、はがきの印刷が出来なくて、昨年中に年賀状が出せなかったのだ。
これも、紙送りのローラーをクリーニングしたのだがダメで、諦めていたのだが、ネットで検索したら、ゴシゴシ擦れ、と書いてあったので、ゴシゴシ擦ったら復活した。
(株)ネビュラプロジェクト(TDB企業コード:984521055、資本金1000万円、東京都中野区中央5-2-1、代表加藤昌史氏)は、5月31日までに債務整理を秋山清人弁護士(東京都千代田区飯田橋4-7-11、山崎・秋山・山下法律事務所、電話03- 3230-1056)ほか2名に一任、自己破産申請の準備に入った。
当社は、1985年(昭和60年)6月に創業、91年(平成3年)2月に法人改組された劇団運営会社。「演劇集団キャラメルボックス」の運営、チケット・グッズ販売、役者マネジメントなどを手がけていた。同劇団にはかつて俳優の上川隆也氏などが所属し、多い時で年間のステージ数は200弱を数え、総観客動員数は12万人を超え、代表作は「サンタクロースが歌ってくれた」「また逢おうと竜馬は言った」などが知られていた。1万7000名内外のサポーターズクラブ会員も抱え、2007年1月期には年売上高約9億3200万円を計上していた。
しかし、個人消費の低迷を受け、2008年1月期の年売上高は約7億4800万円に落ち込み、最終赤字を計上、債務超過に転落していた。その後も地方公演を中心に観客動員の減少が続き採算は悪化。資金繰りがひっ迫するなか、5月31日をもって劇団の活動を休止することを発表し、動向が注目されていた。
負債は現在調査中。
梶尾さんも心配していたようだが、まあ、そのうちに復活するのだろうが・・・。
観客と一緒に年を取るのではなく、若返っていかなくては劇団は存続しないのだが、なかなかそううまくはいかないものなのだ。
大体記事のほとんどが、「俳優の上川隆也さんもかつて所属」とあるが、ということは今活躍している俳優がいないということなのだ。それでは客を呼べないだろう。
時々、ひどい批評をすることがあるのだが、相手を甘やかす批評はなにもいいことがないと思っている。
ただ、本当に敵わないと思った時は、正直にほめるようにしている。
従兄弟と電話で話をしていたら、今度従兄弟の書いた作品がミュージカルの原作になるらしいとのこと。
あれこれと、先輩面して喋って話は終わったのだが、検索してみると出てこない。
さらに検索するとどうやらペンネームで応募したみたいだ。
今度はそのペンネームで検索すると出てくる出てくる、脚本も演出も美術も役者もやっているようだ。
うーん、してやられたという感じ。
昔娘が通っていたミュージカルスクールの名前を思い出せなくて「静岡 ミュージカルスクール」で検索したら、11軒ぐらい出てきた。
いくらなんでも、こんな小さな町にそんなにあって、商売は成り立つのだろうか?
最近、清水のミュージカルスクールが1校閉店してましたから(ネットで調べたら移転でした。これで12軒ヒットか)。
検索の結果、娘が通っていたのは「リトル ステップ ファクトリー」でした。
加藤諒くんが5歳から18歳までいたところです。うちの娘は4歳か5歳でやめたはず。その後はバトントワリングやってました。
加藤くんの多摩美術大学時代の先生の一人が、私の知り合いの旦那さんだそうで、まあ、人の縁なんてどこに転がっているか分からないなと思いました。
今から45年前の多摩美は牛が鳴く道を延々と上ったところにありましたが、今ではすっかり街になってしまったようです。
おしゃれな武蔵野美術大学に比べてなんかあか抜けない大学だったなあ。
そういえば、ヒューマンアカデミー仙台校というところから、4月6日に私の作品を上演するという連絡が来てOKをだしたけど、その後何の連絡もないがどうなっているのだろう?
学校の規模としては、かなり大きいようだが。
20日の早朝に年下の友人が亡くなった。前日まで、犬の散歩とか自転車に乗ったりしていたので、本当に急なことだった。
22日に通夜があり、読経の間、一緒に走った時のことや、あまり呑めないのに律義に忘年会や夏のビアガーデンに出席してくれたことを思い出し、涙が止まらなかった。
映画がよかったのと、古本屋で安く出ていたので「三月のライオン」を買い始めたのが、3月17日だった。7冊で216円(+別の本3冊付)それから、不足しているところを買い足して最後に残った13巻を購入し、全巻そろったのが3月24日だった。
その13巻に「雨の匂い 河の匂い」という章がある。棋士の滑川の実家が葬儀屋で、人手が足りなくて手伝いに行った時のエピソードが描かれている。
そこで棋士の滑川が「どして人というのは、こんなにも忘れっぽいんでしょう。こんな風にたくさんの人生の最後を見送ってきているのに、どうしてもっともっと、もっと切迫感をもって生きられないんでしょう」と自分の棋士としての生き方を語りだし、最後に「…これで私、死ぬときにちゃんと、「ああ生き切った」……と思えるのでしょうか‥」と言うと
実家を継いだ弟がぽつりと答えた「「生きる」って事についてなら、僕 思うんです。「自分も いつかは死ぬんだ」って事を、忘れて呑気に日々を送れてしまう事…それって、人間の持っているちっぽけな権利の一つなんじゃないかなって」
まあ、そうなんだが、ちょっと「生き切っていない」自分が情けなく、まずはブログの更新から、とこのブログを書いている。
35年前に茨木大学の学生たちが撮った映画の上映会があるからということで、水戸へ行ってきた。
5時間半の電車は結構きつかった。
なぜ、水戸まで行ったかというと35年間消息が不明だったI君と会えるらしいということが分かったからだ。
さて、映画を観てびっくりしたのは、上映された三本全部に自分が出演していたことだ。しかもど下手。
あとは、35年前にはあまり軽自動車が走っていないとか、みんながタバコを吸っているとか、時代の隔たりを感じさせるものが多かった。
観客はほとんどが知り合いで、その後の飲み会も久しぶりの人たちで懐かしさがいっぱいだった。
水戸で映画の上映会。
「ブロークンタイム」は私の脚本。
当時の10代20代の連中も今では50代60代。同窓会気分だ。劇団「第七病棟」にいたハンスも来るそうだし、行きたい気はある。
でも、水戸は遠いなあ。