真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

手塚プロで友人と会う

2006年04月26日 17時34分58秒 | Weblog
10時を過ぎて家を出て、図書館へ寄って,川越街道のロジャース、駐車場から手塚プロの吉村さんに電話、軍曹とあだ名を言うと、すぐつないでくれた、小林君と一緒にあってくれるというのでスタジオの駐車場に行く、近くのドンキホーテで食事をしながら、昔の思い出話に花が咲く。資料室の森さんが私のページを見ているらしく紹介してくれるというので、手塚プロへ戻り資料室へ行く、森さんは忙しいのに遅くまで話をして頂くことが出来た。資料室長の森 晴路さん、商売とはいえかなり、手塚治虫のことに詳しい、「図解 鉄腕アトム」 ー河出書房新社ーの著者であるので 当然か。社長室の頃に手塚治虫と、手塚治虫出版集を見ながら、過去の原稿を付き合わせる事をした。最後に手塚先生「すべてありますね」といわれたので、昭和41年のその時は全ての今までの原稿が有ったのだと、思いこんでいた。先生の原稿が無い物があると森さん我説明してくれたので、昭和41年には全て有ったはずと、その話をしたが、初期の手塚治虫の作品は、買い取りというか渡しっぱなしで、原稿が帰ってくるはずがないので、昔の資料は、有るはずがないと言われた。手塚 治虫は有るはずの物は、全てあったという意味で言ったのだと、始めて気がつき、長年の疑問が、また一つ解けたが、とても残念な気持ちになった。キバぼーは資料室での会話に最後まで付き合ってくれた。話に夢中になって気がつくと5時半。またやってしまった、人の迷惑を考えろ。でも資料室の方達のおかげで楽しい1日を過ごすことが出来た。メルモのカットとトリトンのパイロットの絵コンテ、ワンダークンのラッシュなどを捜して。 見つけたらお見せしに来ますと、約束をして手塚プロを辞した。
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