真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

お蕎麦の会By樋口先生

2009年09月26日 23時19分44秒 | Weblog

昨日の歩数:9651歩
起床時間:9時15分
血圧  :116  72
脈拍  :62
体温  :35.7℃
体重  :64.5kg
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下に行って、先ず尋ねたのが「入っている」であった。
 土曜日だけサービスの読売新聞が入らないのである。
頭を降る妻。
 長男が出かけた後、朝食も取らず家を出る。
PCデポでチラシを貰う。店内見るが欲しかった1.5GBのHDD安売りは無し。
ローソン100円ショップを覘き11時半家に戻る。
8000歩もない、いつもながら遠く感じる。
8枚切り2枚で朝食。
パソコン
13時50分中央図書館へ行く、これで1万歩は超えるだろう。
返却と予約を借りてくる。
14時20分家に戻る。
 妻既に出かけていた、プチフールでパンを買ってあった。
それを食べて昼食代わり。
パソコン作業
17時目処をつける。
着替える。車の中の荷物を全て降ろす。玄関足の踏み場も無くなる。
17時半車で家を出る、清瀬駅には17時35分には着いてしまう。北口ロータリーで駅降り口が見渡せる車を停めて置ける場所がない5分おきにロータリーを回る。
結局は18時降り口より先に樋口先生を発見。今日はお蕎麦の会、荷物があるので清瀬液で待ち合わせをしていた。
小林先生宅へ向かう。18時15分にはセブンイレブン駐車場に着いてしまう。
 ついた旨電話をしてみるが電話に出ない、ひょっとしたら会社かもと駐車場へ車を見に行く、無い。
 出勤日だ確か土曜日は隔週だと聞いていた。
いつもなら18時30分を過ぎてしまうのに18時20分に帰ってくる。
18時30分小林先生を乗せて蝉丸へ。
19時蝉丸で樋口先生を降ろして、吉祥寺へ
招待したという手塚フアン(女性2名)を迎えに行く。
蝉丸には石津先生も見えていた。河井先輩が電話に出ないとここ何日か心配していた。何かあったのではと心当たりに連絡していた矢先。良かった。
 小説の取材で旅行に出ていたが、いつもわずらわしいので携帯電話は持って行かないのだと言うことであった。心配かけたと河井先輩にわびていた。
 私も石津先生の元気な姿を見てうれしく、多弁になっていた。
そしてお目当て樋口先生手打ちのお蕎麦、これは私には食べるほうが良い。
美味い。
2種類のそばを味わう。北海道、会津、信州。どれも美味いが味が違う。
 残念なのは物足りないもっと食べたかったがみんなの手前かなり遠慮して食べた。
それに月曜日が定期健診、食べ過ぎて、不摂生したら検査に悪影響が出るかも。
 そしたらこのところの摂生が無駄になる。
11時半今回は早めに送るということで女性二人と石津先生を高円寺まで河井先輩が送っていく。
 こちらも帰るところが愚図愚図しているうち河井先輩が戻る。
0時やっとお暇、柴山先生、清瀬、小林先生、狭山、樋口先生を1時過ぎにお送りする。2時過ぎ帰宅。静に風呂に入り3時寝た。
コメント
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