真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

朝日 取材を受ける

2009年09月10日 23時12分31秒 | Weblog

昨日の歩数:3512歩
起床時間:7時30分
血圧  :112  72
脈拍  :61
体温  :35.3℃
体重  :65.6kg
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8時家を出てウォーキング
10時に蝉丸へ行かなければならないのでショートコース。
落合川に出て8時半まで歩く。新落合橋でその時間となったので折り返す。
氷川神社へお参りして9時10分家に戻る。既に長男は起きていた。
 メールなどチェックしておいて、着替えをする。
9時半長男が出かけていく。
その後を追うようにバイクで出かける。
10時過ぎ蝉丸に着く。
河井先輩とお話。
約束の10時半を少し回って朝日新聞の記者がお見えになる。
武蔵野支局長の松村さん
「誰も知らない手塚治虫」について、河井先輩と取材を受ける。
最後にプロジェクターの所で写真撮影。取材は12時まで続いた。
その後少し話をし、またお昼をご馳走になり、13時お暇をする。
13時半過ぎ家に戻る。
次男に浦和に今日行くのと明日行くのとどっちが良いか尋ねる。
どっちでも良いというのでこのまま行こうと言う。
先に車で図書館へ予約を取りに行く、相すれば14時には妻が帰ってきて一緒に行き、母に線香をあげてくるというかもしれないと思ったから。
 14時過ぎ家に戻り、小さくホーンを鳴らす。
次男が来て「お母さんも行くって」と言う。
 JAへ15時までに行かなければならないので信号のない裏道を選んでいく。
14時45分JA六辻に着く。直ぐに次男の解約手続き。実家へ行きお線香をあげる。
 母宛に歯医者さんから留守電が入っている。
電話をして母が亡くなったことを伝える。
線香の火が消えるのを待って弟の家に行く。
 戸籍謄本と印鑑証明を渡し、委任状2枚に署名捺印をする。
長野小諸の父の父のお墓へ行ってきて槌を持っていたその様子のビデオを見る。
 父を育ててくれた家も見てきたと言うが、変わっていた、今は誰も住んでいないようだったと言う。懐古園の様子も撮ってあった、随分と様変わりしていた。
広々としていたのがやたら建物が増えていた。寅さん記念館も写っていた。
 帰りお弁当にする事にして新座のすきやへ寄る。
18時昨日は曇っていて暗かったのに、まだ何とか明るいそんな時間に帰宅する。
パソコン。
 先だってからメディアプレーヤーの調子がおかしい。
曲目が表示されないのだ。
検索してヒットしてOKしてもまったく表示されない。Real Playerを使って取り込みをしてみる。
20時夕食。
21時前長男帰宅
いつもの様に公園に走りに行っていた次男が戻って風呂に入る。
続いて食事を終えた長男が入り。パソコンをしていた私が次に呼ばれて風呂に入る。
23時日記を付けておこうと書き始めた。

コメント
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