貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

愛西市佐屋宿: 水鶏(くいな)塚公園

2016-11-08 13:42:09 | 日記
水鶏(くいな)塚公園 6月20日11:00~11:10

    水鶏なくと人のいへばやさや泊り 芭蕉

という句は、公園が見当たらず探すことができず。

  水鶏公民館に寄って訪ねようと入口に入ったが、
 
 人影は見当たらず。

  閉鎖的(?)な出入り口にはちょっとびっくり。


 ☆☆☆木曽川を渡る。愛知県と三重県の境になる川で、尾張大橋を渡る。
    名称もやはり「尾張」、県力の差は歴然としていた?


24 愛西市佐屋宿: 津島神社 を訪ねて   

2016-11-08 13:33:32 | 日記
24 愛西市佐屋宿: 津島神社   6月20日  10:30~10:55

 八百万の神が祀られているという神社であったが、芭蕉の句碑は見当たらず。
 
 与謝野晶子の歌碑があった。

津島神社



与謝野晶子の歌碑


23 名古屋: 笠寺観音・笠覆(りゅうふく)寺  その2芭蕉と武蔵

2016-11-08 10:20:43 | 日記
23 名古屋: 笠寺観音・笠覆(りゅうふく)寺 その2 芭蕉と武蔵

 千鳥塚の句は、

     「星崎の闇を見よとや啼千鳥」芭蕉

 星崎は、この笠寺観音より西側にある地名だそう。

 もう一つ春雨塚があるという。見落としたかな。

 そこの句は、
 
      笠寺やもらぬ岩屋も春の雨 芭蕉
 
 という。
 
 さて、笠寺という名称、そのいわれは? 

 観音像は雨露にさらされるがままになっていた。
 ある時、旅の途中で通りかかった藤原兼平(藤原基経の子、875年-935年)が、
 雨の日にこの観音像を笠で覆った娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。
 この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺、
 即ち笠覆寺と名付けられたという。

 宮本武蔵は、ここ笠寺観音の南側にある東光院に滞在していたようで、
 巌流島の決闘から10年以上が過ぎた寛永7年(1630年)以降のこと。
 その関係で記念の碑があるという。


23 名古屋: 笠寺観音・笠覆(りゅうふく)寺 を訪ねて

2016-11-08 10:15:17 | 日記
23 名古屋: 笠寺観音・笠覆(りゅうふく)寺 6月20日 9:10~9:30

 笠寺観音を右横目で眺めながら2回ぐるりと周回。

 道が入り組んでいて駐車場が見当たらず。思い切り山門前に入る。
  
 左折する道あり。駐車場あり。だんだん知恵もついてきた。

耐震も盤石か?詣でる人もちょこちょこと入れ替わり立ち替わり。
 
 信心深く慈悲に満ちた表情である。名鉄の本笠寺駅が傍にあり

 そのため入り組んでいたのだ。保育園児の登園時刻にぶつかった。