貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

2 鹿島市: 鹿島神宮 を参詣

2016-11-22 09:46:21 | 日記
2 鹿島市: 鹿島神宮  10月9日 9:05~10:20

 松戸の●●寺に寄るが、7時開門という。駐車場で出会った若い僧侶は

虫の居所が悪かったのか、挨拶もせず仏頂面。閉門してもこころは開いて

おくことだ。閉門は閉心に通ず?

 待っている時間ももったいないのと雨模様なので、予定を変え、

鹿島神宮へ直行することにする。東関東自動車道はほとんど土砂降り。

時々小雨になるが、鹿島神宮に着いたらまた土砂降り。それでも結婚の儀式や

赤ちゃんのお宮参り、一般の参詣者も多い。御朱印を依頼し、参詣する。

 朱塗りの楼門の近くに芭蕉句碑があり。

    「名月や 鶴脛高き 遠干潟」

    「此枩(このまつ)の 實ばへせし代や 神の秋」

参道は小川と化せり。高い所を選んで歩く。奥宮でお礼とお祈りをし、

脇を通って「要(かなめ)石」まで行く。

鹿島神宮の要石は大鯰(なまず)の頭、香取神宮の要石は尾を押さえているとか、

両者の石は地中で繋がり、地震を鎮めているとされている。

 ただ、記紀には要石の記載はなく、要石が一般に広く知られるようになったのは、

安政の大地震(1855)の頃だそうだ。

 そこに、芭蕉の句碑

     「枯枝に 鴉(あ)のとまりけり 穐の暮」      

  と

     「大地震にひくともせぬや松の花」 一茶

 の句碑があった。

鹿島神宮



芭蕉句碑



要石(かなめいし)



芭蕉句碑