鹿島市: 根本(こんぽん)寺 10月9日 10:27~10:35
仏頂和尚はこの根本寺と深川の臨川寺を往来していた。
芭蕉が禅の修行をしたり、いろいろ教えを乞うたりした仏頂和尚は、
相当の魅力ある人物のよう。仏頂面ではなさそうだ。
鹿島神社との訴訟で勝訴するということからも理解できる。
九年間に及ぶ勝訴で、その後は隠居の身となられたようだ。
句碑は、「寺に寝て まことの顔なる 月見哉」 である。
月を愛でる幸運には恵まれず。「鹿島詣」には、
「あかつきのそら、いさゝかはれけるを、和尚起し驚し侍れば、人々起出ぬ。
月のひかり、雨の音、たゞあはれなるけしきのみむねにみちて、
いふべきことの葉もなし。」と結んでいる。
芭蕉の一つの特長として、富士山では霧時雨のため、山を見なかったことを詠み、
松島では、句を詠むことは曾良に任せたり、そして今回も月を愛でることに恵まれず。
これも又無常・無情かな?たとえ見られたとしても、芭蕉は深く感動すると句を詠む
気力を消失してしまうのか、束の間の自然美に言語を絶するのか?
しかし、その無念さを歌に託した。そういうこともまた芭蕉ならではの才覚。
これまた一興!
根本寺
芭蕉句碑 寺に寝て まことの顔なる 月見哉
仏頂和尚はこの根本寺と深川の臨川寺を往来していた。
芭蕉が禅の修行をしたり、いろいろ教えを乞うたりした仏頂和尚は、
相当の魅力ある人物のよう。仏頂面ではなさそうだ。
鹿島神社との訴訟で勝訴するということからも理解できる。
九年間に及ぶ勝訴で、その後は隠居の身となられたようだ。
句碑は、「寺に寝て まことの顔なる 月見哉」 である。
月を愛でる幸運には恵まれず。「鹿島詣」には、
「あかつきのそら、いさゝかはれけるを、和尚起し驚し侍れば、人々起出ぬ。
月のひかり、雨の音、たゞあはれなるけしきのみむねにみちて、
いふべきことの葉もなし。」と結んでいる。
芭蕉の一つの特長として、富士山では霧時雨のため、山を見なかったことを詠み、
松島では、句を詠むことは曾良に任せたり、そして今回も月を愛でることに恵まれず。
これも又無常・無情かな?たとえ見られたとしても、芭蕉は深く感動すると句を詠む
気力を消失してしまうのか、束の間の自然美に言語を絶するのか?
しかし、その無念さを歌に託した。そういうこともまた芭蕉ならではの才覚。
これまた一興!
根本寺
芭蕉句碑 寺に寝て まことの顔なる 月見哉