貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

25 桑名市桑名宿: 龍福寺   

2016-11-09 10:18:33 | 日記
25 桑名市桑名宿: 龍福寺   6月20日  11:50~12:40

七里の渡し跡から揖斐川の堤防上を約2㎞下った地点の堤防下にお堂があった。

我が生涯で一番激しく印象に残る伊勢湾台風、その被害をこの寺も受けたそうだ。

昭和34年中学1年の夏で、家の土壁は落ち、心配の余り友達と二人で高台の中学校へ向かった。

中学校も何とか無事で一安心。老女が隣の村で中村川に転落、何キロも流され、

一週間後我が家の3キロの川下で見つかった。その時の校医(医者は村に一軒、村医でもあった。)

さんの手厚い遺体処理にびっくりしたことや鼻も耳も突出している箇所は皆そぎ落ち土色した肌は

今もって鮮明に残っている。

全ての戸の所を外から平板で釘打ちし、畳を全て障子に立てかけ、雨漏りする箇所に手拭いやタオルを

入れた洗面器やバケツなどを置き、台風の様子を風や雨の音で聞き分けるというのが、我が家の夏の年中行事。

 伊勢湾台風はやはり最強であった。去ったかなという頃空いている箇所で仮眠。18歳まで台風の恐怖を感

じなかったのは、母親が落ち着いていたからかなと、今では思う。

 (父は神戸在住で、今でいう単身赴任。疎開家族だったのだ。)

浜の地蔵という龍福寺



野ざらし紀行の説明と芭蕉句碑

 明ほのやしら魚白き事一寸 芭蕉 というのが句碑。39年に再建されたそうだ。



白魚塚と芭蕉句碑