もっと話し、もっと聴きたかった!
令和元年8月4日
今朝は昨日戴いた信州の
新鮮玉子で、半世紀ぶりかな?
玉子かけご飯をいただいた。
黄身が満月のように輝き、
ぷりぷり。
するするとご飯を包み込んで
しまう。
改めて安心して食べられる
ことは幸せだな!
と実感する。
さあ、観音堂から300段、
気をつけて下りよう。
観音堂と百景の富士と芭蕉の
句碑とお別れ!
そうそう、古い瓦もこんな風に
敷き詰められると、趣も一段と・・・。
芭蕉の句に戻る。
伊予の俳人井(せい)海(かい)から
贈られた歌仙一巻に対する返礼と
して「歌仙の讃」を送ったという。
その讃と句。
天和3年夏、甲州にての作とさ
れているが、芭蕉が滞在した谷村
(都留市)から富士は見えない。
嘱目の吟ではなく、観念の作?
句碑の背面。細かく記載されて
いる。
「雲が走り、霧が急に立ち上る。
瞬間瞬間にその景色を変える富士の
景色。
瞬く間に百景を形成する。
この富士の美を表すに詩人も画工も
文人もかなわない。
藐(は)姑(こ)射(や) の神人なら
それができるというのだろうか?」
※ 藐姑射とは、中国で超人的な神仙
が住むという山の名前だそう。
帰路は慎重にそして軽やか。
下る300段はあっという間である。
まだ草取りをしているお二人に、
「いやあ、絶景でした。芭蕉の句碑が
あそこに建てられた意味が分かりま
した。」
と謝意を込めて感動を伝えると、
先程の女性がつうっと寄って来られ、
「この寺は、西行法師のものが残っ
ていて・・・。」
と西行のことを学生時代から慕って
きたことを語られる。
芭蕉と西行の話、
西行の最愛の人の話をしたり、
西行の最後は、花の下での自死だった
のではないかという説などで、
花が咲く。
千葉のご出身ということで、余計
身近に!
もっとゆったり話したいけれど、
先を急ぐ身、丁重に御礼を述べ、
お別れすることに・・・。
また機会があれば参拝したいと
願っている。