人数とは英雄・勇者!
令和元年8月17日
丸子川の橋のたもとにはいろいろある。
石碑と説明板。
細川幽斎の歌碑。
「人数には
たれをするかの
丸子川
けわたす波は
音ばかりして」
天正18年(1596)3月8日,
細川幽斎が豊臣秀吉の小田原
の陣の先陣として,
宇津の山路を越え,ここに差し
掛かった時,地元の人がこの川を
「まりこ川」と言うのを聞いて
詠んだ歌だとある.
「人の数」になるは、
有名な武者になる。
勇者といった古語が,
ここに使われた「人数」だそうだ。
勇者には誰がなるのだろうか。
(私こそが先陣で英雄になってやる)
聞けば丸子川(鞠子川)という。
この川を毬を蹴るように,
馬のヒズメが波を蹴立てて勇ましく
響く。
そんな心境かな?
さて、細川幽斎という人?
戦国時代から江戸時代初期に
かけての武将、大名、歌人。
幽斎は雅号。法名を玄旨という。
初め室町幕府13代将軍足利義輝に仕える。
その死後は15代将軍・足利義昭の
擁立に尽力するが、後に織田信長
に従い、長岡藤孝を名乗る。
丹後宮津11万石の大名となる。
本能寺の変後、主君・信長の死に
殉じて剃髪し、家督を忠興に譲るが、
その後も豊臣秀吉、徳川家康に
仕えて重用され、近世大名肥後
細川家の礎となった。
また、二条流の歌道伝承者・
三条西実枝から古今伝授を受け、
近世歌学を大成させた当代一流
の文化人でもあったという。