貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

自然とのつながりの中で!

2021-10-03 09:59:18 | 日記
令和3年10月3日(日)
芭蕉野分して 
   盥に雨を 
      聞夜哉
 私は三重県産。18歳迄、過ごしたが、
台風の思い出も鮮明。特に中学3年生の時の
伊勢湾台風は一番すごかった。
 台風来襲の度、窓が飛ばないよう板を
打ち付けたり、畳を上げ、雨戸にもたせかけた。
 雨漏りも始まると、あちこち。洗面器や
鍋など中に雑巾やタオルを入れ、部屋が濡れる
ことを必死で防いだ。
 盥や洗面器に落ちる規則的な雨音は何か
音楽を聴いているような心持ちで、雨漏りを
嫌がる風体はなかった。怖れはなく、
むしろ快適でもあったのが懐かしい!
 この歌で、そんなことも思い出している。
 
◎茅の屋根に、深川芭蕉庵で嵐に襲われる。
あばら屋は雨漏りで、大変な騒ぎになった。
 そこで、雨漏り避けの盥を置くが、
洗面用の小盥を置くが、洗面用の小盥と
あって庵の中はたちまち水浸しである。
 外の雨も相当に激しいが、盥に集められ
た雨も大雨だ。
 侘び住まいもここまでくると、滑稽でも
ある。
 庭の芭蕉の葉は、雨風に破られて、
ひどい損傷でもある。
 芭蕉の心には、雨漏りに苦しんだ杜甫の
「茅屋秋風ノ破ル所ト為ル歌」
蘇東坡の「破屋常ニ傘ヲ持ス」が思い出さ
れていたはずだ。
 延宝九年作。
 侘びとともに、我を大事にしている風潮が、
新しい蕉門の俳句には、頻繁に用いられる
ようになった。
 少子の山居趣味と貧しい文人志向が
上の句には明らかに見られる。
 こうして、蕉門一派は、
人を自然とのつながりで見ていく新派として、
認められていった。
 天和二年(1683)に刊行された『みなしぐり』
には、蕉門一派の新しい傾向が見られる。