令和3年10月9日(土)
二上山当麻寺を詣でて
僧朝顔
僧朝顔
幾死かへる
法の松
前回の続き。
◎ 大きな松は大きすぎて切って
前回の続き。
◎ 大きな松は大きすぎて切って
何かの用をするわけにはいかない。
それ故に千年生き残っている。
縄文杉のようだ。
まさしく荘子の提出した
まさしく荘子の提出した
「巨木の無用の用」のようだ。
巨木の松は、千年生きてきたであろうか。
巨木の松は、千年生きてきたであろうか。
その千年の間に、僧侶も朝顔も沢山の
生命が消えていった。
千年という悠久の生命を、
この松は教えてくれる。
つまり、生命という大自然の中の
つまり、生命という大自然の中の
出来事を教える「法の松」だと感嘆!!!!
私の生職の最期の言葉「緑松千丈」も
偲ばれる。築地の4段目に栄える黒松を
賞しての作だが、松の生態をよく表し、
至極気に入っている。
私の「法の松」かな。