令和3年10月22日(金)
闇には、古来の叙情とちがって、
哀切の響きがあって、
千鳥に聞き惚れ天地を包む闇の強い
表現力に惹かれるのであった。
闇の力を詠んだ秀句については
闇の力を詠んだ秀句については
『野ざらし紀行』の外宮の闇についても
述べたけれども、
芭蕉は夜空の星よりも星も見えぬ
夜の闇に寄宿の根源を認め、
闇の美の表現を大事にしている。
この芭蕉の感覚は、彼の俳諧の中心を
この芭蕉の感覚は、彼の俳諧の中心を
占めているので、もう少し述べてみたい。
例として、『おくのほそ道』の一句を
例として、『おくのほそ道』の一句を
あげよう。
荒海や
荒海や
佐渡によこたふ
天河
芭蕉の視線は、先ず目の前の荒海に
芭蕉の視線は、先ず目の前の荒海に
落ちている。
七夕時の荒れた海である。
荒海は何に支えられているか。
波の下の暗く深い海に支えられている。
視線が揚がって、佐渡島を見る。
視線が揚がって、佐渡島を見る。
島にある歴史は流(る)謫(たく)の歴史
である。暗い歴史である。
そして、視線は天ノ川に上がる。
そして、視線は天ノ川に上がる。
明るい星の河だ。
この満天の星を支えているのは、
この満天の星を支えているのは、
広大無辺な闇である。
この世の全て、森羅万象は闇から
生まれる。
これが芭蕉の大事にした感覚なのだと、
これが芭蕉の大事にした感覚なのだと、
私は思う。
そう師匠は語る。
私も同感である。
やはり芭蕉の炯眼、自然観・宇宙観は
素晴らしい!