令和3年10月4日(月)
つづいて、『野ざらし紀行』へ。
貞享五年(1688)八月、弟子の苗村千里を
貞享五年(1688)八月、弟子の苗村千里を
連れて江戸を立ち、東海道を上り、伊勢・
伊賀・大和を巡遊し、翌二年、京都・湖南に
杖を曳き、木曾路を経て江戸に帰った
旅の記を『野ざらし紀行』という。
芭蕉、41,42歳の時である。
その冒頭に言う。
「千里に旅立ちて、路糧を包まず、
芭蕉、41,42歳の時である。
その冒頭に言う。
「千里に旅立ちて、路糧を包まず、
三更月下無何に入る」
と言いけむ昔の人の杖にすがりて、
貞享甲子秋八月、江上の破屋を出づる
ほど、風の声ぞ、そぞろ寒げなり。
野ざらしを
野ざらしを
心に風の
しむ身哉
荘子には千里の度には三月の弁当が
荘子には千里の度には三月の弁当が
要るというが、私は弁当など持たずに
出かける。
深川の茅屋を出る頃に寒くなって
きたが・・・。
こう言って出かける芭蕉の言辞は、
悲壮感に満ちている。
野に行き倒れて髑髏になるのも覚悟を
して、新しい俳句の道を開きたいのだと
旅に出たものの、まだ覚悟は定まらず、
秋風の冷たさが身に沁みる。