令和4年4月29日(金)
『おくのほそ道』原文では、
<草加>
「ことし元禄二とせにや、
奥羽長途の行脚、
只かりそめに思ひたちて、
呉天に白髪の恨を重ぬといへ共、
耳にふれていまだに見ぬさかひ、
若(もし)生て帰らばと
定なき頼(たのみ)の末をかけ、
其日漸草加と云宿にたどり着にけり。
・・・・。」
芭蕉の先々への不安と心配、
その内実が手に取るように表出。
やっとの思いで到着した草加。
草加宿 東 福 寺
墓石の数や墓石面積の広さに驚く。
駐車場に車を置き、山門を潜り、
駐車場に車を置き、山門を潜り、
本堂を参拝!
鐘楼、庭などよく整備され、
美感も満たされる。
この寺は、草加宿の祖である
この寺は、草加宿の祖である
大川図書(おおかわずしょ)が、
慶長11(1606)年に創建。
僧・賢宥(けんう)が開山したという。
大川図書の墓あり。
大川図書の墓あり。
そして、面白いのは、
不動明王と御仏の足形があり、
丁寧に説明されていること。
つづく。
つづく。