令和4年4月18日(月)
江東区: 長 慶 寺
深川孫右衛門夫妻より、
越後村上の霊樹山耕雲寺
二三世一空全鎖大和尚を
開闢開山に勧請。
当山二世大事不安大和尚布延する。
古来、楠の老木が林立していたので
古来、楠の老木が林立していたので
楠寺とも呼ばれる。
また、開創より31年後、
また、開創より31年後、
万治3年(1660)、時の本所奉行
徳山五兵衛の差配により
寺地が除地となり、
徳山家を中興開基とする。
この寺には亀戸天神の宮司
この寺には亀戸天神の宮司
大鳥居家の墓がある。
言い伝えによると、
言い伝えによると、
亀戸天神の初代と長慶寺の初代が
共に同じ時期に江戸で布教、
互いに励まし合い、交流していたという。
その縁で、この寺に亀戸天神の宮司の
墓がある。
元禄7年(1694)に芭蕉が難波で
元禄7年(1694)に芭蕉が難波で
亡くなったのを聞き、
江戸の門人杉風・其角等が翁を江戸で弔う
ため、この寺に落歯・発句を埋め、
時雨塚を造る。
時雨塚の説明板。
~つづく。