令和4年9月2日(金)
二本松市: 観 世 寺
観世寺は、別名 奥州安達原黒塚 として、
鬼女伝説の霊場として名を馳せている。
観世寺に着いたが、
生憎細かいお金の持ち合わせがなく、
釣り銭で煩わせるのも…と気遣い、
門前から眺めた後、
お釣りに困らないお店を探す。
商店は近くに見当たらず、
商店は近くに見当たらず、
五重塔の下の方に親子で楽しめる
「安達ヶ原ふるさと公園」がある。
そこまで降りると、
きれいなアミューズメントみたいな
建物があった。
幼い子どもたちのお土産物が置いてあり、
ちょっと面白そうなシャボン玉セットが
あった。
近所の子にあげればいいやと購入し、
入場料の400円を気楽に払えるようになる。
黒塚は、福島県二本松市
黒塚は、福島県二本松市
(旧安達郡大平村)にある鬼婆の墓、
及びその鬼婆にまつわる伝説。
安達ヶ原(阿武隈川東岸の称
。安達太良山東麓とも)に棲み、
人を喰らっていたという
「安達ヶ原の鬼婆」として伝えられている。
黒塚の名は正確には
黒塚の名は正確には
この鬼婆を葬った塚の名を指すが、
現在では鬼婆自身をも指すようになったと。
能の『黒塚』も、
能の『黒塚』も、
長唄・歌舞伎舞踊の『安達ヶ原』、
歌舞伎・浄瑠璃の『奥州安達原』も
この黒塚の鬼婆伝説に基くもの。
神亀丙寅の年(726年)の頃、
神亀丙寅の年(726年)の頃、
紀州の僧・東光坊祐慶が、
安達ヶ原を旅している途中に日が暮れ、
一軒の岩屋に宿を求めた。
岩屋には一人の老婆が住んでいた。
祐慶を親切そうに招き入れた老婆は、
薪が足りなくなったので
これから取りに行くと言い、
奥の部屋を絶対に見てはいけないと
祐慶に言いつけて岩屋から出て行った。
しかし、祐慶が好奇心から戸を開けて
しかし、祐慶が好奇心から戸を開けて
奥の部屋をのぞくと、
そこには人間の白骨死体が山のように
積み上げられていた。
驚愕した祐慶は、
安達ヶ原で旅人を殺して血肉を貪り食う
という鬼婆の噂を思い出し、
あの老婆こそが件の鬼婆だと感付き、
岩屋から逃げ出す。
しばらくして岩屋に戻って来た老婆は、
祐慶の逃走に気付くと、
恐ろしい鬼婆の姿となって
猛烈な速さで追いかけて来る。
つづく。