令和4年9月7日(水)
福島市: 文知摺観音:普門院
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/0a/54343081072c1c74eba7c0fe3db8342d.jpg)
文知摺観音は小倉百人一首の
歌枕の地。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/07/2f3d4cb6fff67d21aebb6cc4b2584c47.jpg)
松尾芭蕉、正岡子規などの文人墨客が
多数訪れた場所だ。
全域が福島市の文化財に指定され、
全域が福島市の文化財に指定され、
日本最北端といわれる多宝塔は
福島県の重要文化財指定。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/f8/f8d14bc72ff9b62743cf52262631623f.jpg)
資料館「伝光閣」(でんこうかく)には
美術資料とともに古文書や歴史資料が
展示されているという。
行基菩薩作といわれる秘仏観音像の
行基菩薩作といわれる秘仏観音像の
ご開帳は33年に一度行われ、
次回は2049年の予定。
平成28年10月より、
平成28年10月より、
文知摺観音は
曹洞宗寺院・普門院として
新たな歴史を歩み始めた。
新緑と秋の紅葉の時期の幾重にも
重なるモミジのグラデーションは
特に見事。
かつてこの地は、
かつてこの地は、
綾形石の自然の石紋と綾形、
そしてしのぶ草の葉形などを
摺りこんだ風雅な模様の
「しのぶもちずり絹」の産地だったそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/01/6b0db6a0d5ccc479659d8d55d3b0da7a.jpg)
その名残を今に伝える文知摺石は、
都からの按察使(巡察官)、
源融(みなもとのとおる)と
長者の娘・虎女の悲恋物語の舞台となり、
小倉百人一首にも詠まれている。
「陸奥の
「陸奥の
しのぶもぢずり
たれ故に
乱れそめにし
我ならなくに」
と。
さて、その悲恋物語?
と。
さて、その悲恋物語?
・・・・つづく。