令和5年6月13日(火)
品川区:品川宿 泊 舩 寺
東海道は国道1号、
東海道は国道1号、
しばらくは箱根駅伝コースと
少し気楽な車マラソン。
3時25分に出発したが、
5時前には目的地に着く。
しかし、
泊舩寺そのものと駐車場が見つからない。
2・3回同じ所を巡るが、
一方通行路が多く、
やっと見付けたら、
普通の住宅に近い新しい建物で、
がっちりと北門と塀で隔絶されている。
侘し!
諦めて次へ。
諦めて次へ。
これが初回、朝早すぎたねえ。
泊舩寺パートⅡ
泊舩寺パートⅡ
<開かれていた山門>

<住職の言葉>

室町時代の永徳2年(1382)に開寺。
江戸時代の初期、
1680年代に
住職を勤めた千巌(がん)宗億が俳人。
芭蕉と親交が深く
、境内に牛耕庵(泊船堂、芭蕉堂)
を建て、芭蕉を迎える。
文化年間(1804~18)には、
文化年間(1804~18)には、
俳人2世杜(と)格(かく)斎山奴(ど)
(白牛禅師)が
この寺に住んだことから、
たびたび句会が開かれ、
芭蕉を慕う多くの俳人が
集まるようになる。
<木像芭蕉座像の説明>

泊船寺彫刻として、
白牛禅師坐像、
俳人石川積翠が刻したとされる
芭蕉坐像、
芭蕉の弟子の服部嵐雪と
宝井其角の坐像がある。
いずれも木造の寄木造。
たくさんの句碑が林立。
その中で目立つのは、
芭蕉翁像安置碑。

碑陰に、芭蕉の句、

「旅人と
我名呼れん
はつ時雨」 。
芭蕉100回忌の折、
芭蕉100回忌の折、
俳人石川積翆(せきすい)が芭蕉像を
造って寄進する。
~つづく。