令和5年6月20日(火)
「金色の
涼しき法の
光かな」
昭和33年、
昭和33年、
当山は戦災で失った諸堂伽藍の復興に
めがけ大本堂がほぼその形を整えたので、
御本尊を仮本堂からお移しする
御遷座式を挙行。
この折、御遷座慶讃の諸法要、
諸行事を執り行う。
その一つとして記念の句会を開く。
その一つとして記念の句会を開く。
<高浜虚子の句碑とその由来>
高浜虚子翁は、
次女の星野立子先生
(故人・俳誌「玉藻」元主宰)、
山口笙堂師(故人・鹿野山神野寺山主)
らを伴い出席。
新本堂に参拝された翁は、
幾つかの句を認(したた)める。
<高浜虚子の句碑>
その中の、
「金色の
涼しき法の
光かな」
の句を、
当山は翁にご揮毫願う。
句碑の脇にたつ
「句碑の由来」碑に、
その時の経緯を記す。
「朝霧の
雫するなり
大師堂」
~つづく。
~つづく。