令和5年6月17日(土)
川﨑市: 平間寺(川崎大師)
<表参道商店街>
平(へい)間(けん)寺(じ)は
真言宗智山派の大本山で、
金剛山金乗院平間寺と称し、
厄除弘法大師または川崎大師として、
昔から庶民の篤い信仰を得ている。
<本殿>
<仁王門>
縁起によれば、
平安時代・大治3年(1128)
平(ひら)間(ま)兼(かね)乗(のり)を
名のる漁師が操業中弘法大師像を得、
持ち帰って一(いち)宇(う)を
建立安置。
寺号を平間寺とし、開創。
一方、『新編武蔵風土記稿』は、
一方、『新編武蔵風土記稿』は、
下平間村に称名寺という寺院があり、
ある時同寺は真言宗から浄土真宗に改宗、
このため従来の本尊が不用となる。
<五重塔>
そこでこれを多摩川へ流すと、
河口の漁師が拾いあげ、
堂宇に安置して
寺号を旧地の村名をとり平間寺とした、
との異伝を記している。
この2つの伝承から、
この2つの伝承から、
平間寺は日本人が昔から持っていた
民俗信仰である海上漂着、
または水上漂着の神仏を祀るという
素朴な信仰によって成立したこと、
有力な貴族・武士などによって
造営された寺院ではなく、
地元の漁師などによって支持され、
地域に結びついた
庶民信仰の寺院であるという
特徴を伺うことができる。
戦国期に作成された
『小田原衆所領役帳』に
「大師河原」 という地名がみられるが、
ここにも漂着神の俤が浮上する。
~つづく。
~つづく。