令和5年6月28日(水)
横浜市戸塚区: 富塚八幡宮
源頼義・義家父子が、
源頼義・義家父子が、
前九年の役平定のため、
奥州下向の折にこの地に露営。

夢の中で応神天皇(誉田別命)
及び富属彦命の神託を授かり、
その加護によって戦功を収めたため、
延久4年(1072)
富塚山中腹に社殿を造り、
両祭神を勧請したもの。

明治6年(1873)に郷社に列す。
境内裏山(富塚八幡緑地)に
境内裏山(富塚八幡緑地)に
富属彦命の墓と伝えられる古墳があり、
これを「富塚」と呼んだことが
「戸塚」の由来とされている。

また、
全国の戸塚姓・富塚姓の祖先とされる
戸塚(富塚)一族が
平安時代にこの地に住んでいたことから、
当社を全国の戸塚姓・富塚姓の
祖霊神としている。

三叉路の角地にある塚、
階段を20数段上がった所にある。

お宮の下にある芭蕉の句は、
「鎌倉を
生きて出けむ
初松魚」
「鎌倉を
生きて出でけむ
初鰹」
である。