令和5年6月16日(金)
川﨑宿: 八丁畷駅前
<八丁畷駅前の芭蕉句碑>
元禄7年(1694)5月、
江戸に住んでいた芭蕉は、
子の治郎兵衛と郷里の伊賀へ。
芭蕉との別れを惜しむ
江戸の門人の利牛、野坡、袋水は
多摩川を渡り、
川崎宿まで見送りにきて
八丁畷の榎だんごという店で
最後の別れを交わす。
この時、芭蕉が詠んだ句が、
「麦の穂を
たよりにつかむ
別れかな」。
芭蕉が亡くなってから
芭蕉が亡くなってから
130年後の文政13年(1830)
8月、
俳人一種が桜井梅室(天保の三大俳家)
に揮毫してもらい
、麦の穂の句を
八丁畷に建立したという。
芭蕉が句を詠んだ地に
建てられた句碑は、
箱根山で富士を詠んだ句碑など
数基。
大変貴重な句碑である。