令和6年8月4日(日)
大阪市福島区 福島聖天了徳院
<山門>
よく整備された処で
「歓喜天」と呼ばれ、
人の喜びを自分の歓びとする。
「お聖天さんは、
大歓喜天と申し上げます。
自分も『よろこび』、
他の人も『よろこび』、
他の人の『よろこび』でもって
自分の『よろこび』を倍増する
『よろこび』の神様であります。
潤いの徳を広めて
社会の平安と繁栄のお役に
立ちたい。」
という説明は、
今まで訪れた所には
表明されていない。
大歓喜の日々が
送れますように!
<本殿>
さて、本寺の由緒は?
「大阪夏の陣・冬の陣」を描いた
「大阪夏の陣・冬の陣」を描いた
図に了徳院の名が見える。
江戸時代以前の建立。
当地は所謂八十島の地域であり、
当地は所謂八十島の地域であり、
往古は海中、後に海岸となり、
浦江の地名。
古くは浦江聖天と呼ばれている。
今や本尊扱いの聖天尊
(十一面観音菩薩)は
海の中から漁師の網にかかり、
上がってきたものと
「しおり」にはある。
真言宗東寺派の寺院。
開山年代は不詳。
中興開基の宥意上人が
元文元年(1736)に
高野山より来山し、
堂宇を完成。
大阪大空襲で山門以外は焼け、
戦後近隣の協力もあり、再建。
本尊は准(じゆん)胝(てい)観音
である。
准胝観音は
心の働きを清浄にする仏。
また安産、子授けの功徳もあり、
水神でもある。
歓喜天は
歓喜天は
大聖歓喜双身天王と云われる。
インドの智恵の神・
学問の神ガーネシャであるが、
後に延命・敬愛・福徳・
除災の神として信仰される。
<芭蕉句碑>
芭蕉句碑は、
「杜若
語るも
旅のひとつ哉」
である。
<その説明>
<杜若。