令和6年8月14日(水)
大津市幻住庵②
近江の風物をこよなく愛した
芭蕉は、『幻住庵記』に
以下のように記している。
「山は未申にそばだち、
「山は未申にそばだち、
人家よきほどに隔たり、
南(なん)薫(くん)峰よりおろし、
北風湖(うみ)を浸して涼し。
比(ひ)叡(え)の山、
比良の高根より、
辛崎の松は霞こめて、
城あり、橋あり、
釣たるる船あり、
笠取に通ふ木(き)樵(こり)の声、
ふもとの小(お)田(だ)に
早苗とる歌、
蛍飛びかふ夕闇の空に
水鶏のたたく音、
美景物として足らずと
いふことなし。」
現代風に訳すると、
「山は西南の方角にそびえ、
人家はちょうどいい具合に
隔たっており、
南風が峰から吹きおろし、
北風が琵琶湖を浸して涼しい。
比叡山、比良の高根から、
辛崎の松は霞に包まれ、
城あり、橋あり、
釣り糸を垂れている船があり、
笠取山に通う木こりの声、
ふもとの田に早苗取る歌、
蛍飛び交う夕闇の空に
クイナの鳴き声、
実に美しい景色ばかりで、
一つとして欠けたところが無い。」
というところか。
幻住庵からの眺望を
幻住庵からの眺望を
見事な筆致で描いている。
湖南の風景は、また格別である。
私はここで4年間悪戦苦闘した
私はここで4年間悪戦苦闘した
苦い思い出もあるが、
友と語らい,
5人の恩師に育まれた。
また青春を匂わす恋もし、
実存哲学と教育学に
心身を委ねた。
「一日一冊読破」も懐かしい。
読書好きにしたのもこの4年間。
人としての礎を築いたような
思いもある。
今夏依頼を受け,
今夏依頼を受け,
同窓会の会報69に,
「貢蕉の瞑想」というタイトルで寄稿。
それもまた超越者のなせる
心尽くしなのかもしれない。
唯深謝!
幻住庵を降り、
近津尾神社の境内の前に,
「幻住庵記碑」があり、
幻住庵記の最後を、
彼は、
「先ず頼む
椎の木もあり
夏木立」
という句でしめている。
閑寂を好むが、
閑寂を好むが、
ひたぶるに閑寂を好むのでは
なかったようだ。