令和6年8月10日(土)
京都市嵯峨野: 弘源寺墓所
<弘源寺墓所説明>
落柿舎へ向かっていると、
西行法師庵の跡の石碑を
目の当たりにする。
<西行法師庵跡>
歌は、
「我ものと
「我ものと
秋の梢を
おもふかな
小倉の里に
小倉の里に
実居せしより」。
そして、向井去来の墓所を参拝。
そして、向井去来の墓所を参拝。
<向井去来の墓所。
去来は、
江戸時代前期の俳諧師で
蕉門十哲の一人。
儒医向井元升の次男として
長崎市で生まれる。
武芸に優れていたが、
若くして武士を捨て、
誹諧の道に進む。 去来は、
芭蕉が『嵯峨日記』を執筆した
京都嵯峨野の落柿舎に住み、
野沢凡兆と共に
蕉風の代表句集『猿蓑』を
編纂する。
西行井戸百人一首碑が、
西行井戸百人一首碑が、
整然と居並び、
<西行井戸百人一首碑>
高浜虚子、与謝野晶子や
吉井勇の歌碑もまた
整然と並んでいる。
<虚子・晶子・吉井勇などの句碑>