令和6年8月12日(月)
京都市嵯峨落柿舎②
去来句碑は、
「柿主や
「柿主や
梢はちかき
嵐山」 。
<去来の句碑>
安永元年(1772)
井上重厚が建立。
洛中一の古い句碑。
洛中一の古い句碑。
重厚は,落柿舎二世庵主で、
芭蕉の墓のある義仲寺の無名庵の
庵主も兼ねたそうだ。
<落柿舎の縁側>
<芭蕉句碑>
芭蕉の句は、
『嵯峨日記』
の最尾に記した句、
「五月雨や
「五月雨や
色紙へぎたる
壁の跡」 。
寛いだ芭蕉の気持ちが
寛いだ芭蕉の気持ちが
伝わってくる。
落柿舎には、
落柿舎には、
本庵と次庵があり、
「次庵」は句会席に使用された
という。
去来・芭蕉の句碑から,
去来・芭蕉の句碑から,
高濱虚子の句碑など
落柿舎碑巡りも楽しむことができた。
有難いひとときでもあった。