令和6年8月7日(水)
明石市 明石柿本神社①
元和6(1620)年に
元和6(1620)年に
明石城主であった小笠原忠政公が、
飛鳥時代宮廷に仕えた歌人、
柿本人麿公を
御祭神として祀ったことを
起源とする神社。
<社殿>
社殿は長い石段の先にあり。
境内からは
明石海峡大橋とその先の淡路島等、
風光明媚な瀬戸内海の景観が広がる。
<由緒>
当社御祭神柿本人麿公は、
飛鳥時代宮廷に仕えた歌人で、
万葉集、古今集など合わせて
400首以上の歌が掲載されている。
「天離る
「天離る
夷の長通ゆ
恋ひ来れば
明石の門より
大和島見ゆ」
「ほのぼのと
「ほのぼのと
明石の浦の
朝霧に
島がくれゆく
舟をしぞ思ふ」
等
等
明石で詠まれた歌もあり。
歌聖として祀られる。
主なご神徳は、
主なご神徳は、
学問・安産・火災除。
更には妻に捧げた歌も多くあり。
非常に愛妻家であったことから、
夫婦和合の神としても
祀られている。
「あしびきの
「あしびきの
山鳥の尾の
しだり尾の
ながながし夜を
一人かも寝む」
柿本人麻呂
高校時代以降、
高校時代以降、
「銀も
黄金も玉も
何せむに・・・」
という歌を
山上憶良が作ったと思い込む。
ここで払拭される。
思い込みも恋愛感情と同じ?
<明石天文台>
さて、
芭蕉が訪れた最西端の明石である。
~つづく。
~つづく。