令和6年7月25日(木)
高野山奥の院②
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芭蕉の句碑は、
「ちゝはゝの
「ちゝはゝの
しきりに恋し
雉の聲」 。
<芭蕉句碑>
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芭蕉句碑は、
紀伊名所図会で、
「芭蕉墓(づか)」と紹介され、
碑の裏面には、
次の碑陰銘が記されている。
「ほろ々と。鳴くは山田の。
「ほろ々と。鳴くは山田の。
雉子のこゑ。父にやあらむ。
母にやと。
おもひしたへる。
いにしへの。良辨のかの。
ふるうたに。
かよふ心の。十(とお)あまり。
なゝつの文字を。
石に今。きざみてこゝに。
たつかゆみ。
紀の高(たか)野(の)なる。
法の月。雪にさらして。
すゑの世も。くちのためしを。
この國に。この道したふ。
泝風(そふう)てふ。
人のまことを。かきぞとどむる。」
雪中菴蓼太
この俳句は、
この俳句は、
行基が高野山で詠んだと伝えられる
次の歌を踏まえたものと
言われている。
「山鳥の
ほろほろと鳴く
声きけば
父かとぞおもふ
母かとぞおもふ」
(玉葉和歌集)
良辨僧都は、
良辨僧都は、
「ほろほろと
鳴は山田の
雉子の聲
父にやあらむ
母にやあらむ」
と詠んでいる。
撰文を記した雪中菴蓼太(大島蓼太)は、
江戸時代中期の俳人で、
天明期の俳諧中興に尽くす。
この芭蕉句碑は
この芭蕉句碑は
安永4年(1775)に、
紀州日高郡御坊村の
塩路沂風によって建立される。
塩路沂風は、
塩路沂風は、
後に
滋賀県義仲寺無名庵六世に
なった俳人である。
やはり!
精進料理を昼食にし、
久しぶりの美味しいご飯にありつく。
天ぷらも旨し。
~つづく。
~つづく。
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