令和6年7月22日(月)
御所市 葛城一言主神社
風強く、土砂降りの中到着。
風強く、土砂降りの中到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/f6/752cf5ec4223c53136d807a8a28c3fbf.jpg)
小学生の登校時刻とぶつかり、
子どもたちが近くの学校へ。
制服が薄焦げ茶で、
神社と奈良の色彩かな。
「いちごんさん」
「いちごんさん」
と地元では呼ばれ、
「私は一言しか聞かない」
という神様で大事にされている。
<社殿>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/4c/91f5591ac707746379182fdb833931b2.jpg)
神社正面を降りると、
銀杏の木の傍に芭蕉句碑あるという。
舞い戻り、銀杏の木を探す。
<銀杏の古木400歳>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/8f/6b411918ddc8b7ea1a565b3bbe644b1d.jpg)
樹齢400年の古木は
大事に保たれている。
句は、
「猶みたし
花に明行
句は、
「猶みたし
花に明行
神の顔」
<芭蕉句碑>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/9c/e3aa82253e80663242fc47f22a730755.jpg)
さて、この一言さんの由緒。
『古事記』より。
『古事記』より。
「雄略天皇が幸して葛城山に登った時、
(百官)悉くが紅の紐を著けた
青摺の衣服を給わる。
その時、
向こうに山を登る人があり。
天皇の御幸と等しく、
装束の状も人々もよく似ている。
そこで天皇は山を望んで問わしめ、
この倭の国に我を除いてまた
王はない。
そににいるのは誰か、と訊ねる。
<至福の像>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/8d/4c1c2d26b52a3d48cee421deefda43c0.jpg)
すると、
答える状も天皇の言うとおり。
天皇はいたく忿り矢を番え、
百官の人も悉く矢を番える。
<至福呆け除けの心得>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/17/c0977a6eda970ef87a12fafad05fd8c8.jpg)
ところが、
その人々もまた矢を番えたので、
天皇はまた問いかけて、
それでは名を名告れ、
各々名を名告って矢を放とう、
と言う。
これに応えて、
我がまず問われたので名告ろう、
我は悪い事も一言、
善い事も一言、
判断(ことわり)する神、
葛城の一言主の大神というもので
ある、と。
天皇はそこで惶れ畏って、
我が大神が現し御身があるとは
知りませんでした、
と申して、御刀・弓矢を始め、
百官の人々の着る衣服を脱いで
拝し献った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/b9/59975152717af4dd87856f6192437bcf.jpg)
そこで、
一言主大神はその捧げ物を
手ずから受け取られた。
天皇が還幸する時、
大神は送り奉った。
この一言主大神は
その時顕現したのである。」
という由緒。
万葉集の歌碑もあり。
「善悪を一言で言い表す。」
という由緒。
万葉集の歌碑もあり。
「善悪を一言で言い表す。」
ことの大事さもあろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/a0/fad262ffdacc7c6db1e2b5f79069b664.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/a0/fad262ffdacc7c6db1e2b5f79069b664.jpg)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます