貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

一目はばからず

2019-01-15 08:19:56 | 日記

一目はばからず

平成31年1月15日(火)

 今朝も小松市滞在。

 多太神社(八幡宮)参拝!

 

 遥か昔、武烈天皇5年(503年)に

創建されたと伝えられている

歴史ある多太神社。

 ここには、伝説の兜が奉納されて

いる。

 国指定重要文化財で、旧国宝、

斎藤実盛の兜である。

「時代は平安末期、源平合戦のまっ最中。

 兜の持ち主だった斎藤実盛は、

平家の武将として戦っていた。

 倶利伽羅峠の合戦で敗れ、加賀の篠原

で再び陣を取り戦ったが、木曾義仲軍の

前に総崩れとなった。

 そんな中、実盛は老体であったが、

踏みとどまって奮闘し討ち死にした。

 その後、義仲がその首を池で洗わ

せると、墨で塗った黒い髪がみるみる

白くなり、幼い頃に命を救ってくれた

実盛の首だとわかった。

 義仲は人目もはばからず涙した

という。

続く。


「真猿=まさる」は「魔去る・勝る・優る・賢る・増さる」

2019-01-14 08:26:38 | 日記

「真猿=まさる」は「魔去る・勝る・優る・賢る・増さる」

 平成31年1月14日(月)

 今日は、成人式。 

 晴天の青梅。

 青梅の成人は、小学生の時に書いた

作文か絵等が出身校毎に紹介され、

式終了後、各自に渡される。

 タイムカプセル!

 今朝は、まさる神社へ。

 全国に約二千ある日吉神社・

日枝神社・山王神社の総本宮で

ある滋賀県大津市の日吉大社は、

猿を神の使いとして崇拝すること

で知られ、平安京の鬼門に位置

することから、鬼門除け・災難除

けの社として崇敬されるように

なった。

 参拝の仕方もあり。

 日吉神社では昔から神様のお遣い

の猿を「真猿=まさる」と呼んで尊ぶ。

「魔去る・勝る・優る・賢る・増さる」

に通じる縁起の良いものとして、

大切にされている。

 また、猿は夫婦仲がよく親子の愛情

も深い動物で、犬と同様沢山の子供に

恵まれることから、家内安全・夫婦円満

・子授け・安産・子育ての守護、

縁起物だ。

 元禄2年(1689年)の7月24日、

 「奥の細道」の道中の松尾芭蕉は、

小松に入ると近江屋という旅宿に

泊まった。

 翌25日に出立しようとしたところ

小松の人々に引き留められ、

本折日吉神社の神官で俳人の

藤村伊豆守章重、俳号・鼓蟾(こせん)

の館に一泊。

 同夜、芭蕉はじめ曾良、北枝、歓生

(かんせい)、塵生(じんせい)ら十人が、

有名な山王句会を催した。

 その時の芭蕉の発句が、

「しほらしき 名や小松ふく 萩すゝき」

 その後、芭蕉は小松を立って

山中温泉に行くが、何故かふたたび

小松を訪れている。

 「奥の細道」の旅で、同じ土地を2度も

訪れたのは小松だけで、芭蕉と小松の人々

との間に特別な関係があったことが

伺われる。

 芭蕉翁留杖之地としての記念碑と

芭蕉の句碑、

 そして、小松市の俳人二句碑が目立っていた。


不思議の国の、不思議な規則?

2019-01-13 08:41:07 | 日記

不思議の国の、不思議な規則?

平成31年1月13日(日)

 昨日の青梅は、夕刻より

初雨、初だるま市と初物が

続いた。

 今朝の読売「編集手帳」。

「白足袋に逆らうな」という

京都の警句。初知りである。

 お公家さんや茶人、花街関係者、

室町の商人ら、足袋をユニホーム

とする人たちには窺い知れぬ力が

あり、機嫌を決して損なうこと

なかれ、との戒めだそう。

 「特に僧侶の生態。皇室や政財界との

深いつながり、巨額の予算等々」

と記している。

 それはその通りと納得。

 福井の僧侶が車で運転して、交通

反則切符を切られたという。

 私もそのニュースを聞き、ほんと

びっくり!

 白足袋さんVS法の番人の騒動は、

海外でも報道されているとか。

 「不思議の国の、不思議な規則」

といった受け止めか。

 法の文言の解釈にも関係するかも

しれないが、何ともまあ、みみっちい

話?

 健やかに、和やかに!

 今朝は、お猿さんから学びに!

 小松市の本折(もとおり)日吉神社 へ。


 旧の北国街道筋にあたる小松

の本折町は、江戸時代の文化5年

(1808年)に、本折日吉神社の向かい

側に本光寺が移転してから発展した

門前町。  

 それから明治維新までの50年

間は「出町」と呼ばれて賑わい、

明治初年に本折町と改められた。

 町の中心にある、破風付の朱色の

鳥居が印象的。

 本折日吉神社は、昔から「山王さん」

「日吉さん」と呼ばれ、親しまれている。

 「八方塞がり」にならぬ番人柄も

備えてほしいかな?

  私は、八方塞がりを免れる安定した

年回り!

 生真面目な番人と正対しない

ように!!!

 明日も参拝!


御旅祭と西瓜祭

2019-01-12 08:32:48 | 日記

 御旅祭と西瓜祭

平成31年1月12日(土)

 今日の青梅は、恒例のだるま市。

だるま市の達磨が二つ、家を守って

くれているかな?

 さて、小松市。どこも祭の準備。

 菟(う)橋神社(諏訪宮) 参拝!

 地元ではお諏訪さんと呼ばれ、

親しまれている。

 江戸時代から伝えられている

お旅祭の行われる神社である。

 元は、小松城内の兎御門内に

あり、城の守護神とした。

 「御城内」という提灯が社殿の両サイドに

灯される。

 狛犬

 芭蕉は祭礼(西瓜祭)があることを

聞き、参拝している。

 お旅祭の前日に参拝。

 曳山の碑

 昇竜の松もあり。

 

 

 芭蕉句碑は、社務所の庭に有り。

見ることはできなかった。

 芭蕉の句は、

「しほらしき 名や小松ふく 萩すゝき」

 御旅祭が無事終わるように祈願し・・・。

 


小松に蕉門十哲のひとり

2019-01-11 08:20:58 | 日記

小松に蕉門十哲のひとり

平成31年1月11日(金)

 今朝も氷点下の歩行禅。

 寒歩、寒歩!

そして、戌の日?

 わん、わん、わん・・・と続く。

 さて、小松市に到着。

 先ず、 建聖(けんしょう)寺へ。

 ちょうど祭の準備で、若い衆がいろいろ

準備中。

 

 元禄2年(1689)7月24日

(陽暦9月7日)小松に到着した

芭蕉一行は句会を催す。

 芭蕉の句は、発句などを含めて

4句が残されている。

 小松での滞在地の一つであった

建聖寺に、蕉門十哲の一人であった

立花北枝による座像の芭蕉木造が

残されている。

 座高18㎝、横幅17㎝、厚さ9.6㎝。

木像裏面には、

「元禄みのとし北枝謹で作之」とあり。

 師の像を永遠に残すために丹精を

こめて製作したそうだ。

 境内には、翁塚と句碑がある。

 祭の準備でごった返している時に参拝。

 住職さんとお話もできなかった。

 芭蕉の句は、

「しほらしき 名や小松吹 萩薄」