貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

大津市満月寺浮御堂④芭蕉句「鎖あけて 月さし入よ 浮御堂」

2024-02-09 11:01:24 | 日記
令和6年2月9日(金)
大津市満月寺浮御堂④
  虚子の句は、              
「湖も 
   この辺にして 
      鳥わたる」  。
<芭蕉句碑その2>

 二つ目の芭蕉句碑の句は、
「鎖(じやう)あけて 
   月さし入よ 
      浮御堂」 

 皎々たる月光に、
湖上の浮御堂は
扉を閉ざしたままである。
 あの鎖をあけて
隈なき月をさし入れよ
の意。
 琵琶湖大橋は、大学入学時に開通。
 波多野君が免許とるため、同行。  
 当時2万円は私にとって高額。
2ヶ月分の生活費。

 立て替えてもらい、
最短時間で免許を取得。
 大日君の車で初運転。
 琵琶湖大橋の上り坂で
悪戦苦闘した記憶が蘇る。
 以来ペーパードライバー。
東京都心近辺にいたので、
車不要。更新しなかった。

 青梅に来て、車がないと不便。
 再度免許を取得。
坂道発進の不安は消失していた。


大津市満月寺・浮御堂②比良三上の鷺の橋!雄大だなあ!!!

2024-02-08 10:33:19 | 日記
令和6年2月8日(木)
大津市満月寺・浮御堂②
<湖畔の句碑群>
<芭蕉句碑その1>

 芭蕉一つ目の句碑の句は、
「比良みかみ 
   雪指シわたせ
     鷺の橋」 

 元禄3年。
 比良山は琵琶湖の西、
 三上山は東南、
野洲郡にあって相対する。
 比良・三上が湖水を中に
東西に、雪をいただいて
聳えている。
 湖上両山の間を飛び行く白鷺に、
鵲(かささぎ)の橋の如く
雪の橋を架け渡せ
との意。
 昭和38年(1963)10月9日、
 芭蕉二百七十回忌に
満月寺に建立。
 山門を入ると、
阿波野青畝の句碑がある。
<阿波野青畝の句碑>

 「五月雨の 
    雨垂ばかり 
       浮御堂」
 山口誓子、高野素十、
水原秋桜子とともに、 
「ホトトギスの四S」
と称された俳人である。 
 高浜虚子が師である。
~つづく。


大津市: 満月寺・浮御堂① 満月寺と浮御堂千仏拝顔!

2024-02-07 11:28:06 | 日記
令和6年2月7日(水)
大津市:  満月寺・浮御堂     
<満月寺山門>
  
 寺伝によれば、
源信(恵心僧都)(942~1017)
が比叡山横川から琵琶湖を
眺めていると、その光明の
赫(かつ)々(かく)たるを
怪しむことに。
 網でこれを掬(すく)いとらせると、
1寸8分の黄金の阿弥陀仏像。
 魚類殺生供養のために
阿弥陀仏像一体を造り、
その胎内に納める。
 千体の阿弥陀仏像をも奉安し、
浮御堂を創建したという。
<浮御堂>

 「千仏閣」「千体仏堂」と称し、
衆生制度とともに
湖上通船の安全も発願する。
<浮御堂千仏閣>

 桜町天皇(1720~1750)は
禁中の能舞台を賜り再興。     
 風景絶佳の趣のある地で、
古くより一休和尚、蓮如上人が滞在。 
<湖岸に並立 句碑群と松>
   
 松尾芭蕉(1644~1694)や、
小林一茶、歌川広重、葛飾北斎等も訪れ、
多くの詩歌、絵画を残している。

~つづく。


大津市本福寺④ 芭蕉などの句碑寺の感!

2024-02-06 10:39:43 | 日記
令和6年2月6日(火)
大津市本福寺④

「病(びよう)雁(がん)の 
   夜寒に落て      
     旅寝かな」 。 
 元禄3年。
 「ヤムカリ」「ヤムガン」と
読む説と音読説とがあるが、
後者をとる。
 「落て」は
鳥の空から急に降りるをいい、
「堅田の落雁」を意識しての表現。
 堅田の浦に風邪心地の身に、
夜寒侘びつつ旅寝をしている自分を、
折から頭上を鳴き渡る雁の列から
病を得て                  
湖上に降りる一羽と観じる。              
 流石芭蕉の最古参の
高弟の三上千那さん。 
 千那の墓碑もあり。 
<千寝の墓・句碑>
<大谷仏句>

 大谷句佛句碑は、
「山茶花の
   落花に魂や
      埋もれむ」

 芭蕉が何度も当寺に来泊した所
だけに
“句碑寺”の様相を呈する。


大津市本福寺③ 唐崎と病雁の二つの芭蕉の句と芭蕉像碑をつくづくと・・・・!

2024-02-05 10:42:31 | 日記
令和6年2月5日(月)
大津市本福寺③

芭蕉句碑と芭蕉像碑。
<芭蕉句碑>

 芭蕉の句は、
「からさきの 
  松は花より
    おぼろにて」 。  
 微笑んで、穏やかなご面相。
 近江の人々との触れ合いを
心底楽しんでいるように見える。
<芭蕉肖像碑>

 そして、宝井其角の句碑。
<宝井其角の句碑>

 句は、
「雪日や 
   船頭どのの 
     顔のいろ」
 本堂裏手の庭にも行く。
 芭蕉句碑、
<芭蕉句碑>

「病(びよう)雁(がん)の 
   夜寒に落て      
      旅寝かな」 。 
 元禄3年。
 ~つづく。