令和6年2月15日(木)
古希からのより道Ⅴ
蕉道: 更科逆(さかさ)紀行
(中山道の宿場)
「更級(更科)蕎麦」
蕎麦通でもない私でも記憶の
「更級(更科)蕎麦」
蕎麦通でもない私でも記憶の
ある言葉。
勿論食した事もある。
最近はあまり目にとまらない
「更科(さらしな)」。
思わず更科ってどの辺り?
長野あたり?
調べると、
千曲市の上山田から八幡にかけて
の地域名で、歌枕のひとつ。
姥捨山・田毎の月等の名所で
昔から有名という。
「我が心
「我が心
なぐさめかねつ
更級や
姥捨山に
照る月を見て」
(古今和歌集)
「さらしなの里、
「さらしなの里、
おばすて山の月見んこと、
しきりにすゝむる秋風の、
心に吹きすさびて …」
と、
芭蕉は更科紀行の巻頭で
述べている。
それからもわかるように、
この旅は更科の月を愛でることが
最大の目的。
今では、
今では、
月見は庶民の楽しみでは
なくなったが、
昭和の50年代頃までは、
月見の団子、ススキ
そして月を愛でることは、
秋の家庭行事の一つ。
芭蕉の更科への月見出発は、
芭蕉の更科への月見出発は、
元禄元年(1688)8月11日。
前年の8月14日には、
曾良と宗波を連れて
鹿島へ月見に出かけている。
<岐阜城より>
杜国と旅した明石までの旅では、
「月はあれど
「月はあれど
留守のやう也
須磨の夏」
「蛸壺や
「蛸壺や
はかなき夢を
夏の月」
と詠み、
と詠み、
秋の月を愛でたいという思いは
ひとしきり。
笈の小文の旅は、秘密の紀行。
笈の小文の旅は、秘密の紀行。
その秘密の紀行も
4月の末に吉野、大和、紀伊を巡り,
大坂を経て須磨から明石でターン。
大坂を経て須磨から明石でターン。
京に向かい杜国と別れる。
~つづく。
~つづく。