貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

須賀川市: 大 慈 寺 芭蕉句と健康十訓と磨こう童心!

2024-11-25 11:16:40 | 日記
令和6年11月25日(月)
 須賀川市: 大 慈 寺      
 郡山市の阿弥陀堂を探すが
見つからず。
 また、須賀川市に入り、
大慈寺へ。
 ここもぐるぐる
2回ほど回って到着。
 一方通行の道ばかりが一因?
<芭蕉句碑>

 芭蕉の句は、
「閑かさや
  岩にしみ入る  
    蟬の聲」。
 その他、
目にとまったのが
「健康十訓」と「小僧碑」。
<健康十訓>

「健康十訓」とは、
1、少肉多菜
(肉を少なく、野菜を多く)
2、少塩多酢
(塩を少なく、酢を多く)
3、少糖多果
(砂糖を少なく、果物を多く)
4、少食多噛
(小食で、よく噛む)
5、少衣多浴
(薄着にして、 陽にあたる)
6、少言多行
(口先よりも、 行動本位で)
7、少欲多施
(欲は少なく、他につくす)
8、少憂多眠
(思い悩まず、よく眠る)
9、少車多歩
(車に乗るより、よく歩く)
10、少憤多笑
(怒らず、 よく笑う)
ということ。
 お寺の碑に
刻印されているのは、初めて。 
<ちびっ子広場> 

 そして、
どの子どもの像を見ても
微笑ましく、
「小僧さん、みんなみんな 
可愛いねえ!」
と撫でてあげる。 


 童心は動心。
子心最高!!! 
我が童心を、更に磨こう!!!!!


須賀川市 長 松 院 見えないものにも気配りを!

2024-11-24 11:16:30 | 日記
令和6年11月24日(日)
須賀川市 長 松 院          
 長松院は文明年間 (1467~ 1487)に、
当時岩崎郡一帯を支配していた
須賀川城主二階堂山城守行詮の室
が開基となり、
麟山禅師が開山した曹洞宗の寺院。

 長禄寺の末寺で、
当初は牛袋村に開かれ、
慶長18年(1613)に現地へ移る。 
<本殿>
                 
 境内には松尾芭蕉と
縁が深か った相楽等窮の墓や
等躬の句碑
「あの辺は 
  つく羽山哉 
    炭けふり」
がある。
<等躬の墓>
<等躬の句碑>

 新たに、
平和記念塔が造られている。
 前回訪れた時は、
安保関連法案が話題になっていたが、
今回は北朝鮮の米国への敵対が
ミサイル実験の暴挙により
緊張が高まり、
その後の人間の愚挙には
末恐ろしさを感じることも多い。
 宗教にしろイデオロギーにしろ、
経済にしろ、
兎に角均衡が保たれること.
 調和、バランスの保持しか、
解決の道なし。
 戦争を回避する知恵と優しさを、
全ての国のリーダーが
持たんことを祈るのみ。

 平らかに、平らかに!
  穏やかに、穏やかに!
 地球も人類も生滅するひとつ。
 全ての生存するもの、その祖先。
 見えないものにも
生存への気配りをと
祈るのみ・・・!



須賀川市神炊館神社②虚子・子規など五人の俳人の句碑堪能!

2024-11-23 11:05:12 | 日記
令和6年11月23日(土)
須賀川市神炊館神社②
  虚子の句は、
「白牡丹 
  といふもいへども           
    紅ほのか」
<高浜虚子の句碑と説明>

 子規の句は、
「芭蕉忌や 
  吾に派もなく 
    傳もなし」

「山里の 
  桑に昼顔 
   あはれなり」
<正岡子規の句碑>

 そして、
柿の栗等に尽力した
雨考の句は、
「鶴亀も 
  下戸にはあらし
    膳飛羅起」。
<夜話亭雨考の句碑>

 市原多代女の句は、
「此うえに 
  又としよらん     
    初時雨」。
<市原多代女の句碑>

 藤井普流の句は、
「夏の夜の 
  持ちこたえなし 
     峯の松」
<藤井普流の句碑>


須賀川市 神炊館(おたきや)神社① おくのほそ道碑は曽良随行日記より!

2024-11-22 15:20:07 | 日記
令和6年11月22日(金)
 須賀川市 神炊館(おたきや)神社①    
 奥州須賀川の総鎮守である
神炊館神社は、
奥の細道の途次、
芭蕉が参詣した神社。
<鳥居>

 全国でも唯一珍しい社名は、
御祭神である建美依米命
(初代石背国造)が
新米を炊いて神に感謝した事蹟
に因るという。
<社殿>

 室町時代に、
須賀川城主であった
二階堂為氏が信州諏訪神を
合祀したことから、
現在に至るまで
「お諏訪さま」と親しまれている。
 慶長3年(1598)に
現在の諏訪町に遷宮され、
現在須賀川市の中心市街地に
ありながら閑雅を保つ鎮守の杜に、
四百数十年の時を超えて
お祀りされている。 
   
 今回で二度目の参拝である。
 奥の細道碑には、
宗祇戻と曾良随行日記の
須賀川の記録分が
篆刻されている。
<おくのほそ道碑>
<宗祇戻と曽良随行日記碑>

 その後、
虚子や子規など文人、歌人など
多くの方が参拝したようだ。
~つづく。

須賀川市 可 伸 庵 跡 軒の栗碑と芭蕉句碑!

2024-11-21 15:04:09 | 日記
令和6年11月21日(木)
 須賀川市 可 伸 庵 跡                        
 市役所に車を置き、
可伸庵跡へ。


<可伸跡の説明>

 「軒の栗」の碑と
芭蕉句碑あり。 
<軒の栗碑>
  
<芭蕉句碑>

 「かくれがや 
   めだゝぬ花や 
    の木の栗」