▼てな訳で、いつものMOVIX昭島に『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』を、女子中学生と観に行きました。
ここで言う女子中学生とは、私が通勤中にすれ違う<佐藤寛子似>ではなくて、姪っ子である。
早朝にネット予約したのだが、職場の昼休憩に見たテレビCMで『スウィーニー・トッド』がR15指定だと知って、私は慌てて姪っ子に「大人っぽい格好をして来い」と電話しました。
その甲斐あって、苦もなく館内に入れました^^v
▼この場合のR15指定は、エロス描写ではなく、残酷描写の子供に与える影響を考慮してらしかったが、『ハリー・ポッター』のスネイプ先生役をしている、ダスティン・ホフマン化いちじるしいアラン・リックマンのファンの姪っ子が、『スウィーニー・トッド』を待望していたので、その気持ちを優先させた。
確かに残酷な描写。
復讐鬼と化したスウィーニー・トッドが、髭剃りで来店したお客さんの首をスカスカ切り裂いていくのは強烈だったが、それ以上に、客を座らせていた椅子が後方に傾き、床の穴にスルスルと落ちていき、2フロアー下の「厨房」の石畳に頭蓋骨から落ちていくのが痛かった・・・。
クビ筋をカットするシーンも合計で10人はいったか?
おまけに、ご丁寧に、石畳に頭を打ちつけるシーンもセットであった。
「厨房」に落とされた死体は、相棒となる女に調理され、「ミートパイ」としてお客さんに提供されるのだ。
こうして、最初に書いてしまうと強烈な話のように思えようが、そんなことはない。
『ダンス・ウィズ・ウルブス』に、バッファロー狩りのシーンがなくても充分、作品として面白いだろう事と同義で、『スウィーニー・トッド』にも、これらの残酷なシーンがなくても(それらの直接的な描写がなくても)、作品として充分面白かったと思うのだ。
変に残酷描写を念入りにしてしまったばっかりに、R15指定をされてしまい興業的に損をしてしまったのではないだろうか?
▼『超映画批評(http://movie.maeda-y.com/movie/01032.htm)』の前田有一氏が、
「シザー・ハンズの昔からやってる事はまったく一緒」
と記していたが、私は、ティム・バートン監督は、「一つの事しかできない監督」と思っている。
ティム・バートン監督が延々と語っているのは、「異端者の心の孤独」である。
私の最も好きなバートン作品の一つに『バットマン・リターンズ』があるが、面白い面白いと見ていて、ふと我に返って思うと、バットマン・キャットウーマン・ペンギンの三人のキチガイ(社会からの爪弾き者)の傷の舐め合いにしか過ぎないのである。
それでも、その不器用さに、私などは共感を覚えるのである。
かつて、フランシス・コッポラが、「最も才能を感じる監督は?」と聞かれ、バートンの名前を挙げていた。
私は、バートン作品を注目して観ていたが、同じテーマの繰り返しに少々飽きて、ここ十年ほどは離れていた。
だから、今回の『スウィーニー・トッド』は、新鮮に楽しんで見た。
▼話はシンプル。
無実の罪で投獄(島流し)された理髪師が、ロンドンに舞い戻り、妻と娘を奪った判事に復讐するのである。
復讐方法は、自分の客として呼び、カミソリでそのクビを掻っ切るのである。
しかし、一度チャンスを逃し、途方にくれたスウィーニーは、やはり、客の首を掻っ切り、その肉をミートパイの具として、相棒の女の食堂の客に提供し稼ぎとし、判事を殺すチャンスを窺うのである。
娘は判事によって幽閉されており、それを助けようとする若者の話や、ライバル理髪師の奴隷のように働かされていた小僧の話、物乞いの女の話などを絡めて、そして、元舞台のミュージカル劇だったらしく、それらの登場人物がうまくエンディングに集約されていく。
全ての映画がミュージカルならば嫌だが、私は時おり観るミュージカルにはとても感激させられることが多く、この作品のケレン味たっぷりのサウンドにも胸がわくわくさせられた。
そして、やはり、バートン独特のモノクロチックな映像と、ゴシックな美術にも酔った。
私は満足した。
姪っ子も満足していた。
ただ、私は、立て続けにバートン作品を三本くらい観たら、お腹いっぱいになってしまうだろう。
また、10年くらい経ったら、新作を観よう。
同じテーマを、最新の映像で魅せてくれるはずだ。
▼バートン作品に寄り添うダニー・エルフマンの音楽は、今作品にはないようだった。
元々がブロードウェイのミュージカルなので、原曲があったのだろう。
私は、そのダイナミックで一つ一つの音が活きる楽曲にダニー・エルフマンらしさを感じたのだが、編曲などでの参加もしていないようだった。
バートン監督は、そのテーマ性とともに、そのエルフマンらしい音楽性に、このミュージカルの映画化を待望していたのかも知れない。
(2008/01/20)
ここで言う女子中学生とは、私が通勤中にすれ違う<佐藤寛子似>ではなくて、姪っ子である。
早朝にネット予約したのだが、職場の昼休憩に見たテレビCMで『スウィーニー・トッド』がR15指定だと知って、私は慌てて姪っ子に「大人っぽい格好をして来い」と電話しました。
その甲斐あって、苦もなく館内に入れました^^v
▼この場合のR15指定は、エロス描写ではなく、残酷描写の子供に与える影響を考慮してらしかったが、『ハリー・ポッター』のスネイプ先生役をしている、ダスティン・ホフマン化いちじるしいアラン・リックマンのファンの姪っ子が、『スウィーニー・トッド』を待望していたので、その気持ちを優先させた。
確かに残酷な描写。
復讐鬼と化したスウィーニー・トッドが、髭剃りで来店したお客さんの首をスカスカ切り裂いていくのは強烈だったが、それ以上に、客を座らせていた椅子が後方に傾き、床の穴にスルスルと落ちていき、2フロアー下の「厨房」の石畳に頭蓋骨から落ちていくのが痛かった・・・。
クビ筋をカットするシーンも合計で10人はいったか?
おまけに、ご丁寧に、石畳に頭を打ちつけるシーンもセットであった。
「厨房」に落とされた死体は、相棒となる女に調理され、「ミートパイ」としてお客さんに提供されるのだ。
こうして、最初に書いてしまうと強烈な話のように思えようが、そんなことはない。
『ダンス・ウィズ・ウルブス』に、バッファロー狩りのシーンがなくても充分、作品として面白いだろう事と同義で、『スウィーニー・トッド』にも、これらの残酷なシーンがなくても(それらの直接的な描写がなくても)、作品として充分面白かったと思うのだ。
変に残酷描写を念入りにしてしまったばっかりに、R15指定をされてしまい興業的に損をしてしまったのではないだろうか?
▼『超映画批評(http://movie.maeda-y.com/movie/01032.htm)』の前田有一氏が、
「シザー・ハンズの昔からやってる事はまったく一緒」
と記していたが、私は、ティム・バートン監督は、「一つの事しかできない監督」と思っている。
ティム・バートン監督が延々と語っているのは、「異端者の心の孤独」である。
私の最も好きなバートン作品の一つに『バットマン・リターンズ』があるが、面白い面白いと見ていて、ふと我に返って思うと、バットマン・キャットウーマン・ペンギンの三人のキチガイ(社会からの爪弾き者)の傷の舐め合いにしか過ぎないのである。
それでも、その不器用さに、私などは共感を覚えるのである。
かつて、フランシス・コッポラが、「最も才能を感じる監督は?」と聞かれ、バートンの名前を挙げていた。
私は、バートン作品を注目して観ていたが、同じテーマの繰り返しに少々飽きて、ここ十年ほどは離れていた。
だから、今回の『スウィーニー・トッド』は、新鮮に楽しんで見た。
▼話はシンプル。
無実の罪で投獄(島流し)された理髪師が、ロンドンに舞い戻り、妻と娘を奪った判事に復讐するのである。
復讐方法は、自分の客として呼び、カミソリでそのクビを掻っ切るのである。
しかし、一度チャンスを逃し、途方にくれたスウィーニーは、やはり、客の首を掻っ切り、その肉をミートパイの具として、相棒の女の食堂の客に提供し稼ぎとし、判事を殺すチャンスを窺うのである。
娘は判事によって幽閉されており、それを助けようとする若者の話や、ライバル理髪師の奴隷のように働かされていた小僧の話、物乞いの女の話などを絡めて、そして、元舞台のミュージカル劇だったらしく、それらの登場人物がうまくエンディングに集約されていく。
全ての映画がミュージカルならば嫌だが、私は時おり観るミュージカルにはとても感激させられることが多く、この作品のケレン味たっぷりのサウンドにも胸がわくわくさせられた。
そして、やはり、バートン独特のモノクロチックな映像と、ゴシックな美術にも酔った。
私は満足した。
姪っ子も満足していた。
ただ、私は、立て続けにバートン作品を三本くらい観たら、お腹いっぱいになってしまうだろう。
また、10年くらい経ったら、新作を観よう。
同じテーマを、最新の映像で魅せてくれるはずだ。
▼バートン作品に寄り添うダニー・エルフマンの音楽は、今作品にはないようだった。
元々がブロードウェイのミュージカルなので、原曲があったのだろう。
私は、そのダイナミックで一つ一つの音が活きる楽曲にダニー・エルフマンらしさを感じたのだが、編曲などでの参加もしていないようだった。
バートン監督は、そのテーマ性とともに、そのエルフマンらしい音楽性に、このミュージカルの映画化を待望していたのかも知れない。
(2008/01/20)