『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

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[司馬遼太郎の名誉毀損と歴史・軍事誤認識(積ん読本を読む)]

2010-05-27 21:41:55 | 保守の一考
☆かなり前に購入はしていたけど、読破していなかった別宮暖朗著『旅順攻防戦の真実―乃木司令部は無能ではなかった (PHP文庫) 』を読んだ。

 その理論構築が、外堀(「要塞」の歴史的定義など)からゆっくりと埋めていく形式で、私には、かなり難解であったのだが、内容は面白かった。

 この本の単行本だったときのタイトルは『「坂の上の雲」では分からない旅順攻防戦』だったそうだが、

 それは、この本の内容が、国民的作家・司馬遼太郎が描いた日露戦争物語の否定だからである。

 かなり難しいので、一度読んだだけでは、そこで示された「事実」に対し、目からウロコとまではいかないのだが(と言うか、そんなケレンの文章ではない)、ジワジワと効いてくるタイプの研究書だ。

 まあ、その内容については、以前から理解していたつもりだが、ここらで、ちゃんと把握しておきたかった。

 簡単に言うと、別宮氏は「司馬遼太郎の戦争(軍事)観はデタラメだよ」と言っている。

 ところで、私は、『坂の上の雲』が大好きである。

 あんな、心を奮い立たせる物語は少ない。

 マンガ『ワンピース』を読んでいるかのような面白さだ。

 しかし、『ワンピース』はフィクションである。

 『坂の上の雲』は、歴史上の事件経過の小説である。

 そこには、最低限の物理的事実が基盤となっていなくてはならない。

 別宮氏は、冷静な人物のようで、司馬遼太郎の経験からくる感情が、旅順攻防戦の事実を歪ませているとは声を大にしては言ってないが、それを匂わせつつ、徹底的な事実提示を行なっている。

   ◇

 『ワンピース』は面白い。

 それぞれのキャラクターが味のある行動をする。

 しかし、仮に、『ワンピース』がノンフィクションであり、その中に「無能」な男として出したキャラクターがおり、だが、実際は、「無能」とされた、その人物の行動は、理にかなっていたとしたら、どうであろうか?

 司馬遼太郎は、それをやっていたわけだ。

 「無能」とされたのは、旅順攻撃戦の司令官・乃木希典大将である。

 乃木大将の第三軍は、三回に渡る総攻撃で、一万人以上の戦死者を出していた。

 そもそも、乃木大将は、前役の日清戦争で、この旅順を一日の攻撃で陥落させており、それもあって、休職中であったが招聘された。

 戦いは、最終的に、半年の期間を要した。

 上記の数字が、乃木大将の無能論の根底にある。

 だが、と、別宮氏は、要塞の定義・・・、と言うか、歴史から語り始める。

 定義は、時代によって変わるし、まさに、旅順要塞は、日清戦争時から日露戦争時に、要塞概念を全く変えている。

 だから、数字で、しかも後年の後知恵知識での乃木批判は見当違いも甚だしいと言っている。

 確かに、日清戦争の時代から激しく変貌していた旅順要塞に、乃木指導部は無知であった。

 しかし、それも、その情報収集を怠っていた、更に上層のミスでもあろうし、

 要塞の実状を把握した後の乃木は、参謀本部や海軍の、実状把握のなさや、手前勝手な方針に悩まされつつも、世界初の近代要塞の攻略にオリジナルの戦術で挑んでいた。

 別宮氏は、多くの現実的かつ具体的な事例を引き合いに出し、その証拠を示す。

 そして、司馬遼太郎が作品内で引き合いに出した事例に対しては、全く構成要素が異なることを示す(例えば、旅順要塞攻略に、秀吉の高松城水攻めを参考として批判するのはおかしい、と)。

 多少の選択肢はあれ、あの時代の戦争(旅順攻略)においては、膨大な犠牲と、ある程度の期間がどうしても必要とされたことを、知識を積み重ねて論じてくれる。

 また、乃木指令部に全てを押しつけるには、軍隊の指導系統はシンプルではないことも語っている。

   ◇

 ただ、私は、『坂の上の雲』を読んだ直後、それ程に、乃木大将に無能と言うイメージは沸かなかった。

 なんとなく、厳格なイメージに感じさせられた。

 それは、私に元々の軍人への先入観がなかったのと、私が、「前例」を信じない思考を持つことに由来する。

 私は、裁判などでのいわゆる「判例」を疑う思想を持つ。

 それは「レッテル貼り」に相違ないからだ。

 だから、日清戦争での旅順攻略を一日で成し遂げられた乃木大将を、同じく旅順攻略だからといって、時代や要塞構成物質、敵国など、多くの構成要素が異なるからといって、結果が違ってしまった乃木司令部を咎める気には全くならなかったのだ。

 それから、別宮氏は、『坂の上の雲』のほかに、司馬氏の『殉死』もセットで批判していた。

 その、明治天皇に殉じた乃木大将について描かれた物語を読めば、私も、乃木大将無能論に傾いたのだろうか?

   ◇

 乃木大将には、それ程のマイナス感情は抱かなかったのだが、私は、攻略戦時の乃木第三軍の参謀長・伊地知幸介中将には、かなりの悪い感情を抱かされた。

 その後、日露戦争を思うとき、いつも、伊地知中将を悪く思っていた。

 『二〇三高地』をビデオで見てても、伊地知役が「弾がない!」とか文句を言っていると、お前の考えた戦い方が悪い! などとぼやいたものだ。

 しかし、事実は違った。

 当時、評価もされていたのである。

 例えば、日露戦争後に、少将で爵位を授けられたのは伊地知と上原勇作の2名だけであり、その後、伊地知は同期トップで、当時の少将から中将になったそうだ(ちなみにその爵位とは「男爵」である。伊地知大将の風貌も絡めて「ヒゲ男爵」と呼ぼう)。

     
 
 司馬氏が、戦時中、戦車連隊に属し、その周囲の環境において、当時の陸軍に、兵器に、組織に幻滅し、昭和の戦争観を感情で歪ませたのは分かる。

 いや、例えば、今回の著作の冒頭に記された、別宮氏と兵頭二十八軍師の対談を読むと、司馬氏がこきおろす「三十八年式歩兵銃」などは、多くの利点を持つ名機であったことが分かる。

 だが、司馬氏の「経験」は、そのような利点に目が行かず、昭和の戦争に関わる「全て」を感情で押し流している。

 しかし、だからと言って、実在に存在した歴史上の人物を、自分の「怨念」で、事実とは異なる貶めかたをしてもいいのだろうか?

   ◇

 全然、話が変わるが、昨夜、漫☆画太郎のマンガを読んでいたら、ふと、奈良の「騒音おばさん」を思い出して、Youtubeなどで映像を見ていたら、

 ただの「狂人」に見えた「騒音おばさん」だが、色んな状況の末の「迷惑行為」だったことを知った(本当か嘘かわからないんだけど)。

   ◇

 また、週刊少年ジャンプ40周年記念出版『マンガ脳の鍛えかた』を読んでいたら、

 マンガ『国が燃える』の「南京大虐殺問題」で物議を醸した本宮ひろ志氏が、しょうこりもなく強烈なことを書いていた。

 ・・・「まず、”仮説”を立てるの。で、もうその仮説で描いちゃうんだよ。資料を集めて土台を作って、その上に建物を建てて、みたいに作ってたら時間の無駄。だいたいそれじゃ間に合わない。まず描いてから、この仮説を証明する資料”だけ”を集めてくれ、って担当に言うの。そうすると、あるんだ、必ず(笑)。資料はあとから周りを固めるために使っていく。描いたことがもっともらしく見えるように」・・・。

 本宮ひろ志氏と言ったら、それこそ、司馬遼太郎にも負けないような作家のビッグネームである。

 くしくも、小説、マンガの二大巨頭が、その動機は違えど、同じような創作姿勢なんだよな^^;

 フィクションならば、思う存分、空想でも、妄想でも、怨念でも、大風呂敷を広げればいいと思う。

   ◇

 ちなみに、本宮ひろ志氏は、そのヒット作『サラリーマン金太郎』のパロディを、漫☆画太郎が『珍入社員金太郎』としてヤングジャンプ誌で連載したら、激怒して、その連載を打ち切りに追い込んだという・・・。

 
 

 ケツの穴が小さいことよ・・・。

   ◇

 ともあれ、私は、続いて、名機「三十八年式歩兵銃」について詳しい『有坂銃―日露戦争の本当の勝因 (光人社NF文庫・兵頭二十八著)』を読み始めることにする。

 この作品、ずっと読みたかったのだが、先年、新たに発売されていたんですね^^

     

                                        (2010/05/27)


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